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ご来光

 投稿者:初心者  投稿日:2015年 2月25日(水)08時58分15秒
返信・引用
  去年、5月七面山からの写真です。  
 

機関銃で殺生が大好きな日蓮宗の僧侶

 投稿者:チェンライ移住者  投稿日:2014年10月18日(土)10時47分50秒
返信・引用
  機関銃で殺生の、訓練写真を載せておきます  

殺生が好きな日蓮宗の坊様

 投稿者:チェンライ移住者  投稿日:2014年10月18日(土)10時26分15秒
返信・引用
  https://www.facebook.com/shouko.matsushita.5/photos
https://www.facebook.com/shouko.matsushita.5

松下 正弘さんの自己紹介
タイのchingrai市にWAT JAPAN IN CHINGRAI
を開堂。日蓮宗僧侶
遊行期の今健康で活きたい。タイのchingrai市にWAT JAPAN IN CHINGRAI
を開堂。日蓮宗僧侶
遊行期の今健康で活きたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

タイのチェンライで機関銃を持って(違法ではありません)、乱射の訓練をする日蓮宗の坊様がいますが、
日蓮宗は人殺しや殺生も修行の一部のようですね。

いや驚きました、日蓮様の教えは殺生の薦めだったんですね???

もし、自分が間違っていれば、その旨、ご教示下さい。
 

大石寺の内事部に小野寺直(横浜市戸塚区小雀町1260)のことを聞けばよくわかりますから

 投稿者:タコタコのやまぐC&ひとみんオナラぶー  投稿日:2014年10月 7日(火)02時20分39秒
返信・引用
  タコタコのやまぐC&ひとみんオナラぶーの時間だよ。

小野寺に関しては多くの人々が騙されたという証言は多数ありますから、ましてや本尊がニセであり本人の経歴もウソが多くあります。そしていざ真偽に迫ると言った、言わないとかで多くの人々が、「小野寺には関わりたくない。」や「バカバカしい」というのがあります。それらの証言を得るには大本山妙本寺に電話したり、または富士宮市の大石寺に電話したりが良いです。大石寺の内事部に小野寺直(横浜市戸塚区小雀町1260)のことを聞けばよくわかりますから、困っている人は警察などにも連絡すべきです。

http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/52749582.html

 

横浜市戸塚区 本門寺 小野寺直 小野寺日了 南朝

 投稿者:ビタミンC、タコタコのやまぐC  投稿日:2014年 8月22日(金)13時25分48秒
返信・引用
  日蓮門下でも小野寺日了の珍説・邪妄には引っかかっては恥ずかしいであろう。
小野寺は大石寺血脈相伝を否定し、小野寺日了(小野寺直)が仏であり上行菩薩という馬鹿馬鹿しい珍説を展開しているようである。俄(にわか)上人には引っかからないように注意してください。


http://www.myokan-ko.net/about/profile.html

"顕正への道"という書籍があるのです。そこに実名も掲載されての小野寺日了の偽作したという欠陥(けっかん)本尊やらについて暴露されています。昭和60年代の書籍。"本尊と曼荼羅が違う"と小野寺日了は珍説を述べているようです。偽作した板を鎌倉期の板本尊として称して目玉にして拝ませていることには変わりないですね。

★TOYODA.TV
http://youtu.be/iZWtxv7otbE?t=5m8s

巧妙に脚色しているからtoyoda.tvでも調べていた人(=お父様)が引っ掛かりそうになってしまった。というくらい"巧妙に脚色"しているそうですね。しかし、偽作というのがどういうことなのかというのが分かってないから引っ掛かるのでしょうか?

★大草氏は過去に回答要求(内容証明)
小野寺日了は回答要求に対して"機関紙上で返答する"と言ったかと思えば、"機関紙と教団と小野寺氏は無関係"と言ってみたり"支離滅裂"(しりめつれつ)な遁走(とんそう)と"顕正への道"(書籍 暁鐘編集室)で綴っている。"小野寺直氏稿「日蓮大聖人出世の本壊」を糺(ただ)す"(P195)という項目も記して論評している。




http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/52749582.html

 

Re: 本因妙大本尊 本門正宗

 投稿者:ひとみん&茹でタコやまぐC=自称元レーサー  投稿日:2014年 8月22日(金)12時54分52秒
返信・引用
  > No.233[元記事へ]

匿名希望さんへのお返事です。

http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/52749582.html?1408677012


"顕正への道"という書籍があるのです。そこに実名も掲載されての小野寺日了の偽作したという欠陥(けっかん)本尊やらについて暴露されています。昭和60年代の書籍。"本尊と曼荼羅が違う"と小野寺日了は珍説を述べているようです。偽作した板を鎌倉期の板本尊として称して目玉にして拝ませていることには変わりないですね。

★TOYODA.TV
http://youtu.be/iZWtxv7otbE?t=5m8s

巧妙に脚色しているからtoyoda.tvでも調べていた人(=お父様)が引っ掛かりそうになってしまった。というくらい"巧妙に脚色"しているそうですね。しかし、偽作というのがどういうことなのかというのが分かってないから引っ掛かるのでしょうか?

★大草氏は過去に回答要求(内容証明)
小野寺日了は回答要求に対して"機関紙上で返答する"と言ったかと思えば、"機関紙と教団と小野寺氏は無関係"と言ってみたり"支離滅裂"(しりめつれつ)な遁走(とんそう)








> 悪徳宗教から身を守れ!のような形で本門正なる富士山本門寺という横浜にあるお寺がある。もうまるで漫画の世界だ。しかし、最近は創価崩れや日蓮正宗・法華講崩れが出入りするということもあるらしい。日蓮正宗や創価学会が悪評判されている中でその受け皿として本門戒壇があるといい、学術的な鑑定もされていない。
> 匿名が可能なインターネット上では教祖がペテン師という文言も発見されている。信者らしきものがしているサイトをよくみると洗脳手法によるやり方らしい。
>
> 日蓮系として注意という意味で予防しておこう。
>
> 本物の本門戒壇があった!などのブログなどでたまに見るがそんなものはないということです。
>
> 以下によくあることですが板の裏銘文など日蓮が彫ったかのような説明があるとのことだ。
>
> しかし、すでに指摘がある八幡抄の花押と同じテクニックが当てはまる。
>
> http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/mob/hatimanshokaizan002.html
>
> http://ord.yahoo.co.jp/o/chiebukuro/_ylt=A3JuMHfOiT1Tl3EAN4VPY.B7/SIG=12onh9p27/EXP=1396628302/**http%3a//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10125084855
>
> http://ord.yahoo.co.jp/o/chiebukuro/_ylt=A3JuMHfOiT1Tl3EAOYVPY.B7/SIG=12oj7ibdm/EXP=1396628302/**http%3a//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10127035590
>
>
>
>
>
>

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n281742

 

みなさまへ

 投稿者:アブドゥッラー  投稿日:2014年 7月18日(金)18時23分34秒
返信・引用
  御本尊様は唯一で、ノア、モーセ、
イエス・キリスト、ムハンマド様達は、
その御使いです。

イスラーム (平和) の聖典、真の聖書、コーランは全人類への訓戒です。
 

カルトのリサーチくんへ

 投稿者:初心者  投稿日:2014年 7月 9日(水)08時47分19秒
返信・引用
  社会病質者で構築された宗教ってなに?
あなたの幼稚な論理で物事を決めつけるのは良くないよ。
もっとしっかり勉強して。
 

社会病質者で構築された宗教が人を救えるはずが無い。

 投稿者:カルトのリサーチ  投稿日:2014年 6月20日(金)09時11分29秒
返信・引用
  > No.239[元記事へ]

徳を積むだとかほざいているが、結局お布施目当てで不幸な人達をターゲットにした単なるカルトだ。最終的に身寄りの無い被害者の財産がカルトによる"後見人"申告で奪われる。
この点は創価も日蓮宗も同じだろう。若干言い回しが宗派で違うだろうが金の儲け方は基本的に同じだと言える。
 

社会病質者で構築された宗教が人を救えるはずが無い。

 投稿者:カルトのリサーチ  投稿日:2014年 6月20日(金)09時00分42秒
返信・引用
  創価、日蓮宗に関わらず宗教信者は皆変です。
社会病質者で構築された宗教が人を救えるはずが無い。
精神科の患者らが寄り集まった所で、人助けなど出来る訳が無い。

とんだ思い上がりです。
勘違いも甚だしい。
 

創価、日蓮宗に関わらず宗教信者は変。

 投稿者:宗教信者は社会病質者  投稿日:2014年 6月20日(金)08時55分24秒
返信・引用
  創価、日蓮宗に関わらず宗教信者は皆変です。
社会病質者だから誰にも頼れなくて宗教に頼る。
そんな信者で構築された宗教に、人を救える訳が無い。
精神科の患者らに人助けが出来ると思っているんでしょうか。

とんだ思い上がりです。
勘違いも甚だしい。
 

★悪縁・ニセモンの波動に誑かせられたのか

 投稿者:匿名希望  投稿日:2014年 6月12日(木)08時29分18秒
返信・引用
  "小野寺なるもの"のインターネット動画に引っ掛かった者共
★悪縁・ニセモンの波動に誑かせられたのか
toyoda.tv によれば随分と法華講員が小野寺直なるものに誑かされたということらしいのだ。その動画はすでに削除されているもののダウンロードしている者もいるという。その中で小野寺なるものは"日蓮正宗滅びる!"かのような発言もしているという。さらに、経歴では総本山大石寺の顧問だという経歴を伝えているが大石寺ではそのような経歴はないとのことである。

総本山大石寺の元顧問と名乗った小野寺直なるものは、1991年に玉井氏発行の書籍では本因妙大本尊の嘘が暴露されている、さらに日目の正系であるという系図もイカサマということでバレテイルのである。それなのに、なぜ小野寺なるものは"元 総本山大石寺の顧問"という顧問に就任した証明書、就任に開始日、終了日などはないそうである。いったいこの小野寺なるものは"いつからいつまで大石寺の顧問"をしていたのであろうか。"本門"という言葉を使い回しているだけの教団であることには間違いがないようである。

本尊もニセ、御影もニセ。勾玉も小野寺がいう論に立つと成り立ちしない。日目の正系ではない。顧問の経歴は小野寺が言ってるだけ!!



宗教法人太平教団 代表の小野寺直(自称 南朝天皇・上行院日了 横浜市戸塚区小雀町)は、経歴に日蓮正宗 総本山富士大石寺(静岡県富士宮市上条)の顧問であったというデッチ上げているようである。顧問契約書や顧問就任書、顧問解約書なるものは存在していない。日蓮正宗(静岡県富士宮市上条)では小野寺なるものがいうところの"顧問"という役職すらもないのであるが、小野寺なるものはいったい、どこでどのように、いつから日蓮正宗 総本山富士大石寺の顧問になったのであろうか。その小野寺の小細工に引っ掛かる者が多くいたらしい。小野寺日了はすみやかに総本山富士大石寺へ顧問契約書、顧問就任書、顧問解約書なるものの発行を求めるべきであろう。小野寺による洗脳され巣を食らう者らが、洗脳が解ける日も近くなる。側近にいた玉井氏は小野寺なるものに対して"宗教詐欺"という名を送ったのである。小野寺日了の信者なるもの(推定50代 男性)が総本山富士大石寺(静岡県富士宮市上条)の内事部に訪れて「天皇家が●●●●」、「総本山富士大石寺の元顧問が小野寺先生である」というように訪れたらしいが、小野寺に洗脳されているということである。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n284365


http://youtu.be/3cRurAcIq1A

 

Re: 法華経友の会

 投稿者:加藤  投稿日:2014年 6月 9日(月)17時15分5秒
返信・引用
  > No.234[元記事へ]

加藤さんへのお返事です。

> 創価学会のみなさん、日蓮宗のみなさん、加藤です。私は以前に創価学会2世でした。
> 8年前に脱会して法華経友の会を作りました。みんなで楽しく法華経を学んだり
> 世間話とかしてアットホームな会です。もちろん一切無料です。
> 愛知県で活動しています。全国の方も交流したりしていきたいと思います
> 学会の脱会相談も無料でしています。お気楽に連絡下さい。
> momo555z@yahoo.co.jp
 

法華経友の会

 投稿者:加藤  投稿日:2014年 6月 9日(月)13時39分7秒
返信・引用
  創価学会のみなさん、日蓮宗のみなさん、加藤です。私は以前に創価学会2世でした。
8年前に脱会して法華経友の会を作りました。みんなで楽しく法華経を学んだり
世間話とかアットホームな会です。もちろん一切無料です。
愛知県で活動しています。全国の方も交流したりしていきたいと思います
学会の脱会相談も無料でしています。お気楽に連絡下さい。
momo555z@yahoo.co.jp
 

本因妙大本尊 本門正宗

 投稿者:匿名希望  投稿日:2014年 4月 4日(金)01時21分4秒
返信・引用
  悪徳宗教から身を守れ!のような形で本門正なる富士山本門寺という横浜にあるお寺がある。もうまるで漫画の世界だ。しかし、最近は創価崩れや日蓮正宗・法華講崩れが出入りするということもあるらしい。日蓮正宗や創価学会が悪評判されている中でその受け皿として本門戒壇があるといい、学術的な鑑定もされていない。
匿名が可能なインターネット上では教祖がペテン師という文言も発見されている。信者らしきものがしているサイトをよくみると洗脳手法によるやり方らしい。

日蓮系として注意という意味で予防しておこう。

本物の本門戒壇があった!などのブログなどでたまに見るがそんなものはないということです。

以下によくあることですが板の裏銘文など日蓮が彫ったかのような説明があるとのことだ。

しかし、すでに指摘がある八幡抄の花押と同じテクニックが当てはまる。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/mob/hatimanshokaizan002.html

http://ord.yahoo.co.jp/o/chiebukuro/_ylt=A3JuMHfOiT1Tl3EAN4VPY.B7/SIG=12onh9p27/EXP=1396628302/**http%3a//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10125084855

http://ord.yahoo.co.jp/o/chiebukuro/_ylt=A3JuMHfOiT1Tl3EAOYVPY.B7/SIG=12oj7ibdm/EXP=1396628302/**http%3a//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10127035590





 

来年もよろしく。

 投稿者:  投稿日:2013年12月31日(火)08時22分9秒
返信・引用
  皆様、ありがとうございました。
来年もどうかよろしくお願いを申し上げます。中
 

Re: (無題)

 投稿者:山麓丸  投稿日:2013年12月11日(水)20時48分44秒
返信・引用
  コウインさんへのお返事です。

> 末法の世のおいては、僧も俗もあまり違いはないです。
>
> 私は在家出家と言う形が僧侶の仕事をしていただけです、7年前に辞めました。
> しかし、その後も法華経と日蓮聖人の教えは、学び続けています。
>

コウインさん回答になっていないのはお気付きですよね?

貴方は確かに「 私は、21歳で法華経と出会い、仏門に入り以らい12年勉強をしているのですよ。 」と言っているのに何故今になって 急に7年前に辞めたなどというのでしょうか?でしたら最初から 今は在家の身ですとでも仰って下さい。

中さんもうお気付きかとは、思いますがこの方は論点のすり替えもお得意なのでお気をつけ下さい。

> 「若脳乱者頭破七分」の御本尊にかんして、なぜ取かえなくてはならないかと言うとですね、拝した方々には哀れな末路が待っているからです。
>
> この御本尊を拝する方は、必ず精神を病みます。
>
> 鬱病を患い海に飛び込み自殺した人も居れば、焼身自殺された方々を何人も知っていますよ。
> 日蓮聖人の御法魂が、宿る身のぶ派指定の「臨滅度時御本尊」には、「若脳乱者頭破七分」「有供養者福過十号」などと書かれいません。
>
> 早急に交換を勧めるべきなのです。
>

これは聞き捨てなりませんね。かく言う私も若悩乱者頭七分の御本尊を安置していますが 貴方の仰ることは全くあてはまりません

若悩乱者頭七分は石山だけでなく 現在では富士門流全の御本尊に約束事の様に 書かれています



> 信仰すれば、無間地獄におちる念仏信仰と同等いや念仏以上に危険性があります。
>
> あなたは、大石寺門流や創価学会によって、無間地獄におちる衆生を見捨てるのですか?
>
> あなたは、どういった御本尊を拝しているのでしょうか?

はっきり言ってどんな信仰をしていても不運な最期を遂げる人はいますし また安らかに亡くなられる人もいます 貴方が言われる十界本尊を拝んだ人だって実際には 同じです

あちらを拝めば不幸になる こちらを拝めば幸せのなる様なことは 仏教の概念で言えば方便にすぎません
そういった事をいって初心の人に説くから現世利益に執着する人が後をたたず 不幸をうんでいる原因になっているのではないですか?
 

Re: (無題)

 投稿者:コウイン  投稿日:2013年12月11日(水)18時11分7秒
返信・引用
  > No.229[元記事へ]

末法の世のおいては、僧も俗もあまり違いはないです。

私は在家出家と言う形が僧侶の仕事をしていただけです、7年前に辞めました。
しかし、その後も法華経と日蓮聖人の教えは、学び続けています。

「若脳乱者頭破七分」の御本尊にかんして、なぜ取かえなくてはならないかと言うとですね、拝した方々には哀れな末路が待っているからです。

この御本尊を拝する方は、必ず精神を病みます。

鬱病を患い海に飛び込み自殺した人も居れば、焼身自殺された方々を何人も知っていますよ。
日蓮聖人の御法魂が、宿る身のぶ派指定の「臨滅度時御本尊」には、「若脳乱者頭破七分」「有供養者福過十号」などと書かれいません。

早急に交換を勧めるべきなのです。

信仰すれば、無間地獄におちる念仏信仰と同等いや念仏以上に危険性があります。

あなたは、大石寺門流や創価学会によって、無間地獄におちる衆生を見捨てるのですか?

あなたは、どういった御本尊を拝しているのでしょうか?
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2013年12月 9日(月)22時06分44秒
返信・引用
  コウインさん、
>私は、21歳で法華経と出会い、仏門に入り以らい12年勉強をしているのですよ。

これは、失礼ですが、信じられませんよ。

御僧侶とは、出世間とも言われるのでしょう。俗世間においても、今時、

「仏教」の話をする人に向いて、
>あなたは、学歴もたいした事なさそうだ。
>社会的地位の無いニートの類が虚言をいったところで、誰も聞き入れませんよ

何て言いませんよ。思いもしませんでしょうね。

シュリ、ハンドクを例に採るまでもないでしょうに。



それから、「本尊」と、我々が、礼拝供養すべきは、久遠常住の釈迦仏ではありますが、

末法において、「釈迦仏とは無縁」と言い張る人に、「本尊を直ちに変えよ」とは、誤解を招きかねませんよ。

どう言う事かと言いますと
いわゆる、
「本未有善の人々」に強いて説くのは上行所伝の五字七字を「唱えよ」とですが、

コウインさん、
貴方が、もしも、仏門に入って12年の間、法華経を学んだのであれば、
具体的に、「末法の良薬」の服用の仕方を、初信のこの人たちに、その後、どのように、指導なさいますか?

「末法の良薬」(下種)を受けて「功徳」を得るためには、
たとえば、
どうしなさいと、又、これはしてはなりませんぞと、導きますよね。

ここを間違うと、「功徳」は望めませんよと説かれていますでしょ。

僧侶指導の基本中の基本ですよ。
「何をやれば、「功徳」は得られないのですか。
いわゆる「十四誹謗」ではなく、

「末法の良薬」「下種法門」特有の「厳禁事項」がありますね。
お話願えませんか?


「この日蓮聖人の教えも否定されるのなら、法華経をすてなさい、
最近は、あなたの様な人がおおくて、仕方ないですよ。」

と山麓丸氏に変わって、お返しさせていただきます。

これはね、コウインさん、

ネットの常識でしょ、

「面と向かって、言えない事は,書かない」は
大事な事なのですよと申し上げているのです。

あしからずです。
 

Re: 「問題点」があるはず

 投稿者:コウイン  投稿日:2013年12月 9日(月)18時31分44秒
返信・引用
  > No.227[元記事へ]

山麓丸さんへのお返事です。

まったく、お話になりませんね。社会的地位の無いニートの類が虚言をいったところで、誰も聞き入れませんよ。 日女御前御返事は間違えなく、日蓮聖人が書いたものです。

私は、21歳で法華経と出会い、仏門に入り以らい12年勉強をしているのですよ。
あなたのようなエセ日蓮聖人とは、訳がちがいます。                                                                                                                                                     日蓮聖人は、開目抄に 「一念三千は十界互具よりことはじまれり」とはっきりおっしゃっています。十界の揃っていない曼荼羅など、お書きになられるはずが、ありません。



                                                               釈尊も日蓮聖人もひていされるのなら、法華経をすてなさい、さいきんは、あなたの様な人がおおくて、仕方ないですよ。
 

Re: 「問題点」があるはず

 投稿者:山麓丸  投稿日:2013年12月 7日(土)14時08分25秒
返信・引用
  コウインさんへのお返事です。

> 中さんへのお返事です。
>
> > 大石寺の曼荼羅には法華経の中で遠い過去の日月浄明徳如来が存在の時、喜見菩薩は身を清めてのち、その身を灯明として仏にささげた。(薬王菩薩本事品)*薬王菩薩が書かれておりません。
>
>
>
>
>
>
>                       法華経の従地涌出品に出てくる四大菩薩の出現に対しておしゃか様にその事態の意味を問うた、弥勒菩薩の名前も龍樹菩薩の書かれていないのです。
>
> 一方、創価学会の曼荼羅の方は、 舎利ほつ、薬王菩薩、文殊師利菩薩、普賢菩薩、弥勒菩薩、迦葉尊者、提婆達多、阿修羅王、転輪聖王、阿じゃ世大王、龍樹菩薩、妙楽大師等が欠けているとんでもないかたわな曼陀羅なのであります。さらに、創価学会は御書も偽物です。
>
> 日蓮聖人は、御本尊に十界をお書きになられています。
>
> それを大石寺も創価学会も勝手に削り取り、日蓮聖人のお書きになられていない、若脳乱者頭破七分 有供養者福過十号を書き足し、偽造した曼荼羅を配布しております。本物の曼荼羅はネットでも1500円くらいで、購入できます。
>
> 偽物をお持ちのかたは、ただちに交換を進めるべきです。
>
> 山麓丸さん日蓮聖人は、はっきりお釈迦様が本仏だと、おっしゃっていますよ。日蓮本仏論をたてて、釈迦本仏論が成り立たないなどと、言うあなたは、勉強不足ですね。
> 学歴もたいした事なさそうだ。
>


敢えて、反論をしますと

貴方が文証としている「日女御前御返事」ですが正本が存在しません また同時代の写本も存在しません

「九識神王真如の都」と言った大聖人が否定した中古天台の思想があり真筆遺文とは認められません

私個人的には偽書ではないかと判断しています。

十界本尊についてですが、確かに真筆遺文でもその様に大聖人は、言われていますがそれ以降も十界の揃っていない御本尊を書写されていますし 弟子の日興上人も日目上人も十界の揃っていない御本尊を書写されています。
資料としては、興風談所の「日興上人御本尊集」で現存する日興上人の御本尊を確認できます。

またはちす文庫の「石山本尊研究」で特別に日興上人と日目上人の御本尊も一部が出ています。
十界が揃っていないものも、多数あり「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」もあります。

貴方の言い分をとると大聖人は自ら筋違いの御本尊を図式してしまい 弟子達にも筋違いの御本尊書写を容認した事になります。

貴方がそれでも十界本尊を信じるのは勝手ですが、他人に押し付けるのには、無理がありますね。

それと私がいつ日蓮本仏を立てたのでしょうか?私の過去の書き込みからコピペして、示して頂きたく思います。
歴史上の釈迦ことゴータマ・シッダールタは後生の信仰で神格化されていますが、実際には覚醒者として「ブッダ」と呼ばれただけで、創造主のような存在では、ないと認識していますので、そう申し上げただけです。

大聖人も真筆遺文では、釈尊を本仏等と呼んでいる所はないと思いますが  本門の教主や久遠実成としか呼ばれていませんが?少なくとも今の日蓮系の様な崇め方ではありませんね。
 

Re: 「問題点」があるはず

 投稿者:山麓丸  投稿日:2013年12月 7日(土)13時43分7秒
返信・引用
  > 「教団の教義なのです」から、離れて、御書を拝読すれば、どなたでも、
> 末法と言う特殊な機・時に、相応しい、信仰のあり方が説かれているわけですから、


末法は大集経に出て来るフィクションですね。歴史上の釈迦が説いたわけでは、ありません。しかし信仰上とくに日蓮系は別次元です。真摯に考えるべきかと思います。

> 「正直な所、何十年の信仰経験に即した、「功徳」を感じ無い」等と言うような事が
> あっては、ならないのです。どこかが、大聖人の教えとは違う「問題点」があるはずなのです。

「功徳」を現世利益と勘違いしているまたは、団体でそのように教えている、所がいけないのです。
残念ながら、石山系はほぼ全てそうです。日蓮宗内部にも九識を正当化して、信徒を騙す団体 霊断士会の、やり方は誠に遺憾に思っています。日蓮遺文の曲解です。

> 「やりこめた、」だの、「遁走」だの、くだらない話ですよ。

同感です
 

Re: 「問題点」があるはず

 投稿者:コウイン  投稿日:2013年12月 6日(金)20時13分16秒
返信・引用
  > No.224[元記事へ]

中さんへのお返事です。

> 大石寺の曼荼羅には法華経の中で遠い過去の日月浄明徳如来が存在の時、喜見菩薩は身を清めてのち、その身を灯明として仏にささげた。(薬王菩薩本事品)*薬王菩薩が書かれておりません。






                      法華経の従地涌出品に出てくる四大菩薩の出現に対しておしゃか様にその事態の意味を問うた、弥勒菩薩の名前も龍樹菩薩の書かれていないのです。

一方、創価学会の曼荼羅の方は、 舎利ほつ、薬王菩薩、文殊師利菩薩、普賢菩薩、弥勒菩薩、迦葉尊者、提婆達多、阿修羅王、転輪聖王、阿じゃ世大王、龍樹菩薩、妙楽大師等が欠けているとんでもないかたわな曼陀羅なのであります。さらに、創価学会は御書も偽物です。

日蓮聖人は、御本尊に十界をお書きになられています。

それを大石寺も創価学会も勝手に削り取り、日蓮聖人のお書きになられていない、若脳乱者頭破七分 有供養者福過十号を書き足し、偽造した曼荼羅を配布しております。本物の曼荼羅はネットでも1500円くらいで、購入できます。

偽物をお持ちのかたは、ただちに交換を進めるべきです。

山麓丸さん日蓮聖人は、はっきりお釈迦様が本仏だと、おっしゃっていますよ。日蓮本仏論をたてて、釈迦本仏論が成り立たないなどと、言うあなたは、勉強不足ですね。
学歴もたいした事なさそうだ。


 

「問題点」があるはず

 投稿者:  投稿日:2013年12月 6日(金)01時37分12秒
返信・引用
  山麓丸さん、中と申します。

コウインさんには、ご理解が頂けなくて、残念な感はございますが、
ま、私にできますことは、この程度かなとも自省しています。

さて、信教の自由を言うのですが、お気の毒な件が後を絶ちませんので、
僭越とは、十分承知の上で、「お力になれないかな」と思う者の一人です。

ただ、「おまえとこが邪宗」「邪宗なんて言う所が本物の邪宗よ」
では、何も解決にはならないでしょうしね。

ただ、「法華経」は、「末法に受持する法華経」はその扱いがこれまでの常識を破る
信仰形態を必要と致しますよね。

ここでは、いわゆる「下種法門」の使用説明とか、「末法の衆生」についてとか、

この「末法の良薬」の特殊な扱い方などを誤ると、「功徳は望めない」と、大聖人も、
天台たちも、警告しているわけですが、

「教団の教義なのです」から、離れて、御書を拝読すれば、どなたでも、
末法と言う特殊な機・時に、相応しい、信仰のあり方が説かれているわけですから、

「正直な所、何十年の信仰経験に即した、「功徳」を感じ無い」等と言うような事が
あっては、ならないのです。どこかが、大聖人の教えとは違う「問題点」があるはずなのです。

そこ等あたりを「真摯」に確かめ合う事は、必要な事ですよね。

「やりこめた、」だの、「遁走」だの、くだらない話ですよ。
 

Re: 末法の良薬

 投稿者:山麓丸  投稿日:2013年12月 4日(水)21時08分34秒
返信・引用
  中さんはじめまして

そして横から失礼します

このコウインと言う人はあちこちのサイトに出没しては自分の考え方を他人に押し付ける方です

自論を否定されればしつこく絡んで この様に暴言を吐いてきますよ

スルーするのが一番です 中さんの考え方には私も共感する所があります

「本仏」などと言う物は方便でしょうね日蓮本仏は勿論のこと 釈迦本仏も最終的には成り立ちせんよね

真筆遺文にも殆ど出てきませんしね 私も一応同門である彼等を救いたいと思いますが なかなか難しいですね

 

Re: 末法の良薬

 投稿者:コウイン  投稿日:2013年12月 3日(火)19時46分18秒
返信・引用
  > No.221[元記事へ]

中さんへのお返事です。

確かに、「若脳乱者頭破七分」、「有供養者福過十号」という本尊は現存しておりま す。 しかし、創価学会の曼荼羅は日寛上人が元は、 書かれた曼荼羅を偽造して信徒に配布しております。 日寛上人は日蓮聖人を本仏と見なして「日蓮本仏論」を唱えた方です。 この論は、日蓮聖人の遺文を曲解したものであり、室町期から大石寺門流を中心として発達してきた異常な思想なのです。 ですから、そのような大石寺門流が書いた曼荼羅は偽物であると考えます。

日蓮聖人は32歳で立宗宣言をされてから 、曼荼羅を徐々に完成させていきます。

十界曼荼羅とは大曼荼羅に十界の諸仏・諸天を勧請しているところから十界曼陀羅と称されております。この事にういて日蓮聖人は「日女御前御返事」に、首題が中央に大書され、その両側に、釈迦牟尼仏・ 多宝如来、本化の四菩薩、その下に舎利ほつなど十界具足とは十界の一界もかけず一 界に具わるのでありそれゆえに曼陀羅というと述べられています。

さらに、「守護国家論」において日蓮聖人はこうおっしゃっております。「法華経」以外の四十余年の方便経では十界互具を説かない。 十界互具の説明があらねば、自分の内心に仏界が具わっていることが判らぬ。 自分の心中に仏界がなければ、仏陀の実在のしんこうが成り立たない。 日蓮聖人は、間違いなく十界を本尊の中に書かれているのであります。十界互具でない曼荼羅は、やはり日蓮聖人の完成形の曼荼羅とはなりえません。                                                          しかも、創価学会の御本尊には日蓮と書かれた箇所が二箇所もある、うさんくさい曼荼羅であります。


            若悩乱者頭破七分と書かれている曼荼羅についてですが、これは法華経の陀羅尼品に出てくる言葉に似ていますが、正式には「若不順我呪、悩乱説法者頭破七分」が正しいのです。意味は、もし法華経の説法 者を謗る者は頭が七分にわれてしまうだろうと羅刹たちが唱えた呪文なのです 。日蓮聖人がもし曼荼羅の中にこの文言を書かれているなら、この文言を省略されるはずが ない。おかしな曼荼羅を大石寺門流は配布し てしまったのです。




若悩乱者頭破七分と書かれている曼荼羅を拝した、人は必ず不幸になっています、このような曼荼羅は早急に処分するべき、であります。

あなたは、日蓮聖人が創価学会や大石寺門流にあてた、手紙があるとおおせですが、文証を示していただけませんでしょうか?日蓮聖人は手紙を弟子にあてているのであって創価学会や大石寺門流にあてたものなど、ありませんよ、創価学会も大石寺も日蓮聖人にそむいた団体であって、日蓮聖人は手紙などお書きになられないでしょう。

 

末法の良薬

 投稿者:  投稿日:2013年12月 1日(日)22時30分25秒
返信・引用
  コウインさん、はじめまして、中と申します。

さて、
>日蓮聖人は、曼荼羅の中に若脳乱者頭破七分という文字を書いていません。

との事ですが、これは、「御真筆にある」のです。ご紹介しますので、ご確認ください。

日蓮宗御僧侶の管理による
「日蓮聖人大漫荼羅一覧」があります。
http://homepage3.nifty.com/juhoukai/mandara/mandaraitiran.html

ここには、宗祖真筆曼荼羅123点が紹介されています。

この中に、ご指摘のお筆があるのです。

NO,053・054・057・059・060・061・065・067など8点。
ご覧になれば弘安元年から、2年に集中している事も判ります。

もちろん、これ以外に、その後5~6点の真筆が確認されているのではありませんでしょうか
(手元に資料がありませんので正確な数字に自信がありませんが)

さて、コウインさん、
いずれにいたしましても、[法華経の修行のあり方]を間違えて教える
指導者に洗脳されてしまって、

驚く事に、「二十年、三十年信仰をしているのだが、「法華経の功徳の実感が無い」と言う人が、
後を立ちません。

世俗の「習い事」でさえ十年習えば十年の、二十年習えば、二十年の成果はあるものです。

コウインさんが仰るように、何か、大変なインチキがあるのではと、
その原因を探る人は、非常に少ない、

彼らには、改宗の選択値が「学会」か[正宗]しかない。と思い込んでいるわけです。
これでは、真の求道にはなりませんでしょう。堂々巡りなのですから。

そこで、コウインさん、

私たちはですね、「そうではありませんよ、「教団の教え」ではなく、「宗祖の教え」を尋ねませんかと。
それには、具体的に申し上げれば、御書をもう一度、

「ご自分に戴いた宗祖からのお手紙」と捉えて、
そこからの目線で、読んでみませんか」と、お話をしたいと考えているわけです。


[学会員]さんや、「法華講員」さんたちが知らない、教えられていない、
重大な誤りが、誰の目にも、見えるように、

大聖人は「こんな事をしてしまえば、折角の末法良薬も成果がなくなりますよ」と語っておいでなのです。

もちろん、「謗法」と言う形以外の、「信仰」の形の上からであります。
「良薬」の飲み方が間違っているのです。よと。

この事を、正宗の御僧侶や、学会幹部と直接、お話しても、ただ、「当教団では、これをこのように信じて信仰する事としています」と、唯、開き直る始末なのです。

「そんな事をさせたら、功徳は望めませんと宗祖が教えているのに、
これでは、純真な信者をだますことになるのですよ」と。

もうこうなったら、手分けして、「悩める信者さんたちお一人お一人に、
「良薬の飲み方」を御書に沿って、確認して行くしかないでしょうと。

コウインさん、よろしければ、手を貸してください。

中より
コウインさんへ
 

日蓮聖人は、曼荼羅の中に若脳乱者頭破七分という文字を書いていません。

 投稿者:コウイン  投稿日:2013年11月25日(月)21時45分12秒
返信・引用
  創価学会や大石寺門流の曼荼羅は偽物です。
日蓮聖人は、曼荼羅の中に若脳乱者頭破七分という文字を書いていません。
この文字は、陀羅尼品第二十六にでてくる文言ですが、お釈迦様の教えに背く者は

頭が七つに割れるだろうことを羅刹たちが唱えたのです。
大石寺門流や創価学会は、末法の世はお釈迦様の教えはすたれていると切り捨てていますので、
                                                この曼荼羅を拝すると頭が七分に割れてしまうという恐ろしい曼荼羅なのです。
さらに、有供養者福過十号という文字は法華経の経典の中に書かれていない文字です。
日蓮聖人は、法華経の中に根拠のないことはおっしゃっておりませんので、日蓮聖人が書いた曼荼羅ではありません。

偽物はただちに処分するべきです。

 

御礼

 投稿者:初心者  投稿日:2013年10月 1日(火)08時42分29秒
返信・引用
  中さん、ご回答ありがとうございます。
これからも、真実を追い求めご研究ください。
soraniさん初めまして。
 

本因妙抄は偽書

 投稿者:sorani  投稿日:2013年 9月27日(金)12時31分57秒
返信・引用
  soraniです。
>天台宗では、「三大章疏七面七重口決」自体を認めていません。

との事なので、おどろきました。
早速、調べてみましたが、仰るとおり、

中古天台研究の泰斗であった硲 慈弘教授も、

「修禅寺決」や「三大章疏七面相承口決」は伝教大師の親選ではなく、
平安末期あるいはそれ以後の偽作として、述べていますね。
(日本仏教の開展とその基調・下・324頁参照)

加えて、
「叡山大師伝」「伝教大師御撰述目録」「伝教大師撰集録」「諸宗章疏録」「伝教大師宗疏」「天台霞標所収伝教大師撰述目録」「山家高祖伝教大師最澄撰」

これらにもとづき、伝教大師の真蹟・真偽未決など九十二部および七つの目録所収にも出てこない「文書」だった事が判りました。

これって、日蓮正宗の人たちはご存知ないのでしょうかね。

信者さんは親身になってくださいましてね、

「今回は、とても忙しいので、ここまで」と言う事で、
「しばらく、休憩」との書き込みがございました。


私と致しましては、話が、噛み合わないにも拘らず、本当に逐一、ご返事など頂きましたので、ここで、一応のお礼のご挨拶をと礼文を書いたのですが、

「投稿文」の記載部分が無くなっていまして、
お礼を伝える事が出来ないままでの休憩となってしまいました。


中さん、「本因妙抄」は日蓮大聖人の著作ではないですね。
くわしく、ありがとうございました。

初心者さん今後とも、お見知りおきください。失礼します。
 

訂正

 投稿者:  投稿日:2013年 9月26日(木)00時24分0秒
返信・引用
  すみません、下記文中

大唐貞元二十一年太歳乙酉五月三日、から、大唐貞元二十四年太歳乙酉五月三日、
に改正されています。

ではなくて、真反対の

大唐貞元二十四年太歳乙酉五月三日、から、大唐貞元二十一年太歳乙酉五月三日、
に改正されています。

に訂正してくださいね、
とんだ、ちょんぼ でした。

いじょう、お詫びと訂正でした。


 

本因妙抄?

 投稿者:  投稿日:2013年 9月25日(水)22時13分1秒
返信・引用
  soraniさん、中と申します。初心者さん、おひさ、

何か、申し訳ないですね、ここには、すごい人が、何人もいらっしゃるのですが、まず、私からです。

真偽判定は諸山、は勿論、第三者である、宗教学者などで、判定するわけです。近代の、
年代測定法なども駆使してですね。日蓮宗が決めるのではないですね。

専門家の方々がその理由を述べあって、真蹟であるか、否かを採るわけですからね。
ちなみに、日蓮正宗の日亨師の監修の「御書全集」にも、正筆、写本とされてはいませんね。

四百有余編の内、正筆扱い(写本を含む)は何と、二百編あまりだそうです。


>「素人」に判るように、その根拠を答えて欲しい?

「う~ん。」大概の人が知っている事なのですが、しかし、これを答えるとなると、
こりゃ、大変でしょう。一冊の本になるでしょうから。


「素人」の先輩格の私にも理解できそうな部分のみで、「本因妙抄」を語ってみます。

「本因妙抄は天台の、三大章疏七面七重口決を台とし、これを大聖人弘通の本因妙の義において説かれたものであり、天台教学の思想的展開に対する本化弘通の規模における付属の法体の碩別を拝する。」(日蓮正宗要義・224頁)

と日蓮正宗では、この書を師、日蓮の書と見ています。

『三大章疏七面相承口決』には
「大唐貞元二十四年五月日に相伝を受けた」事が書かれています。(確認してください)

(大唐貞元二十四年とは西暦808年になります)
(日本のこの西暦808年なら、延歴二十五年が大同元年で806年ですから、808年でしたら、「大同3年となるようです。」

「法華本門血脈相承事」(本因妙抄の別名です)にも
「予が外用の師伝教大師生歳四十二歳の御時、仏立寺の大和尚に値い奉り、義道を落居し生死一大事の秘法を決し給ふ。曰く、大唐貞元二十四年太歳乙酉五月三日、三大章疏を伝へ各七面七重の口決を以って治定し給えり。」

と書かれています。(808年大師42歳の時とありますね)


ただ、「伝教大師伝・五頁」には、
「延暦二十三年(804年)の項に七月六日肥前国松浦郡田浦を発し唐に向ふ。」
「延暦二十四年(805年)の項に六月五日対馬国下懸郡阿禮村に着し、尋で長門国に到る。」

と書かれています。

また大聖人の「報恩抄・304頁」にも、
「延暦二十三年(804)七月御入唐西明寺の道邃和尚仏滝寺の行満等に値い奉りて止観円頓の大戒を伝受し霊感寺の順暁和尚に値い奉りて真言を相伝し同延暦二十四年(805)六月に帰朝して・・・・・」

とあります。


お判りになりますか?
「三大章疏七面相承口決」と「法華本門血脈相承事」(本因妙抄の別名です)は、
共に「大唐貞元二十四年五月日に相伝を受けた」事が書かれています。
西暦808年ですね。

しかし、
「伝教大師伝」や大聖人「報恩抄」には、共に延暦二十三年(804)七月御入唐・同延暦二十四年(805)六月に帰朝とあります。

ですから808年には伝教大師は唐ではなく、日本に居たと、「伝教大師伝」も「宗祖」も言うのですが。

日時師筆ですか(?)写本には、やはり大唐貞元二十四年「808年」となっているそうです。

少し、ややこしいですか?、
だいじな「相承付属の日時」が大幅に違ってしまっているのです。804年と808年に。


ところが、、大石寺本「本因妙抄」(学会版670頁)には、たしかに、
「予が外用の師伝教大師生歳四十二歳の御時、仏立寺の大和尚に値ひ奉り、義道を落居し生死一大事の秘法を決し給ふ。曰く、大唐貞元二十一年太歳乙酉五月三日、三大章疏を伝へ各七面七重の口決を以って治定し給えり。」

と書かれています。ここへ来て、これまでの
「三大章疏七面相承口決」と「法華本門血脈相承事」(本因妙抄の別名です)の
付属相承日時が、

大唐貞元二十一年太歳乙酉五月三日、から、大唐貞元二十四年太歳乙酉五月三日、
に改正されています。

しかしこれは、見てもお分かりのように、ただ単に、大唐貞元二十四年を二十一年に書き換えただけであると失笑されましたね。

「二十一年」に変えるのなら、「大唐貞元二十一年太歳乙酉五月三日」も、大唐貞元21年の干支は「乙酉」ではなく「壬午」であるから、そのように直すべきであった。と・・・・・・・。

まとめてみます。
>本因妙抄は天台の、三大章疏七面七重口決を台とし、これを大聖人弘通の本因妙の義において説かれたものであり、・・・・・・と言うのですが、天台宗では、「三大章疏七面七重口決」自体を認めていません。

最も大事のひとつとされる「外用の師・最澄」の入唐唐土滞在八ヵ月と一九日での円戒禅密の四宗を相承した年月を日蓮聖人様はご覧のように、正しくご存知なのです。

Soraniさん、初心者さん、万が一、日蓮聖人様が三大章疏七面七重口決をお読みになったとしたら、ただちに「ニセ書」と見破られることでしょう。
そんな例はいくつもあります。貴方はどうお考えに成りますか?

soraniさん、日蓮大聖人の報恩抄の「延暦二十三年七月御入唐・・・・」を読めば、このへんのことは、全てを詳しく御存知であり「本因妙抄」などの誤った記述は大聖人のものではない事は動かしがたいと思っています。

もちろん、このような疑問点はまだまだありますよ。
本因妙抄の記述が果たして可能であったのだろうか?などなど、ここでは略します。
ま、加筆の多い書でもありますし、とても書き切れませんよ。

今、私達の願いは、我が教団が正しい正しくないのレベルではなく、
ただしく、「仏の境涯に住むという存在が、教える」教えを、末法では、

日蓮聖人に訪ねて、法華経を会得したいものですね。
今後のご健闘を切にいのります。

初心者さん、お元気ですね。
以上です。
 

「本因妙抄」は偽書

 投稿者:初心者  投稿日:2013年 9月25日(水)01時11分23秒
返信・引用
  「本因妙抄」は堀日亨(にちこう)師も真蹟扱いは致していませんが、

真蹟扱いする根拠があるのでしょうか。

日蓮正宗では、特に大事な御遺文なのだそうです。

いかがでしょうか、この、「本因妙抄」を「真蹟」と見なす理由を

出来ますれば、私のような「素人」にも判るように教えていただけませんでしょうか?
 

ニセ書につきまして

 投稿者:sorani  投稿日:2013年 9月23日(月)10時20分42秒
返信・引用
  こんにちは、はじめまして、

法華経を知りたくて、日蓮門下さん(末寺)を尋ねている文字通り「素人」です。
本門仏立宗さんには、お邪魔しまして、唱題などさせていただきました。

転勤族であります、帰京すれば、日蓮宗さんが近いので、お寄りするのですが、
ここ数年参詣いたしていません。

日蓮正宗さんや、創価学会さんは、よく存じ上げていませんのですが、
先の「なにがなんだか」さんのご投稿にございます「仏法関係の掲示板」に投稿いたしていますID「sorani」(空に)は私でございます。

あちらでは、管理人さんが直接、「訳のわからない素人」にもかかわらず、大変親切に
いろいろと教えていただいています。

これまでの経験では、「失笑」をかって、「削除」扱いが関の山でしたが。
あのような掲示板は初めてであります。心から、感謝いたしております。

さて、前置きが長くなりました。
こちらは、「日蓮宗」さんの関係の掲示板だとの認識で、教えていただきたいことがあります。

それは、いわゆる「ニセ書」と言われる書物についてであります。

率直にお聞きいたしますが、日蓮大聖人の御書の中にございます「本因妙抄」は
特に日蓮宗と申しますか、ありていに申し上げますれば「身延の連中が都合が悪いので、ニセ書扱いにしていますが・・・」との話を耳に致します。

たしかに、堀日亨(にちこう)師も真蹟扱いは致していませんが、
聞くところによりますと、日蓮正宗では、特に大事な御遺文なのだそうです。

いかがでしょうか、この、「本因妙抄」を「ニセ書」と見なす理由を
出来ますれば、私のような「素人」にも判るように教えていただけませんでしょうか?

挨拶もそこそこに、の非礼をおゆるしください。
 

情報ですね

 投稿者:何がなんだか  投稿日:2013年 8月 1日(木)10時09分40秒
返信・引用
  通りすがりの日蓮系さん。そして皆さん。

http://9022.teacup.com/haja_kensho/bbs

ここでは、

「皆さんのところの指導者は釈迦仏の弟子・地涌の菩薩ですか?」

それとも、

「釈迦仏とは縁の無い本未有善の凡夫ですか?」

と聞いていますよ。
 

素晴らしい議論に水をさしスミマセン

 投稿者:通りすがりの日蓮系  投稿日:2013年 7月31日(水)01時12分44秒
返信・引用
  失礼致します。ブレイクタイムといった感じで見て頂ければ幸いです。
日蓮正宗のトヨダ君グループの不思議な法要を発見したので是非ご覧下さい!
住職を導師に鳥居に向かって勤行しているんですが・・・

昔正宗は鳥居をくぐる事すらダメだったんですがねぇ

http://www.youtube.com/watch?v=AuiWNqaok1Q

 

二点ほど

 投稿者:  投稿日:2013年 6月25日(火)20時30分32秒
返信・引用
  六道さん、中です。

ご熱心ですね。そして、率直なるご意見は、聞いていて、心地よいですね。

まあ、詳しい人たちのご意見などもお聞きしたく、見守っておりますが、中々皆様、お忙しいのでしょう。

そんな事で、浅学も省みませず出しゃばっています。

ただ、「教学」でありますから、真剣に取り組みたいので、キツイ言葉が、混じるやも知れませんが、どうかご容赦くださいね。


少し気になる点がございます。

上行菩薩は成仏した時には、「釈迦仏となる」とのお考えなのかなと
感じています。

先にも述べましたように、
失礼ですが、私も、貴方も、仏の境涯には達する事は可能なのでしょうが「境涯」は、確かに仏の境涯に住むのでしょう。

しかし、私は、「仏は仏でも、「釈迦仏ではありませんよね、「諸仏」でしょう。

六道さんも、上行さんも、浄行さんも釈迦仏にはなりませんね、
一国土一仏と申します。もしも、もしもですよ、

(ただ、六道さんは、すでにご存知の由、
「本化菩薩は、第二の一闡提、すなわち、いわゆる成仏できない一闡提とは異なり、
成仏を願えば、すぐにでも成仏は可能なのでしょうが、

これらの大菩薩の誓いは、「仏様のお手伝いをして、全ての人が成仏を成した後に成仏を望む大菩薩、」

すなわち、この等覚大菩薩はそういう理由で、ただちの成仏は望まない大菩薩である事を既にご存知なのですが・・・」

上行などの本化大菩薩が、たとえば、成仏したならば、この娑婆世界以外の国土で、なんと言うお名前の仏と名乗られるかも存じませんが、

この、娑婆世界で、しかも、「釈迦仏」と名乗り、教導する事はありませんね。
説明が、へたくそなのですが、ご理解いただけますか?

たとえ上行菩薩が、果徳の位を得たと致しましても、釈迦仏とはいいませんでしょう。
いわゆる、「天の一月と池水に浮かぶ月」の関係でしょう。

法華経の一大イベントでもある、結要付属は「寿命無量」を明かした「久遠釈迦仏が初発心の弟子、四大菩薩に「末法良薬たる一大秘法」を付属します。ご存知の如くであります。

久遠仏が居て、法華経証明仏が居て、三世十方諸仏が居る中での「付属式典」ですね。
みなさんそれぞれの別体でしょ。

「一念三千の法門」ですか。
そうは言っても、恐れ多い事ですね。
「仏界」などの境涯なんて、顕現できるようになるのでしょうかね。

まさに六道さんがお引きの観心本尊抄の心境ですわ。

「本門を以て之れを疑わば教主釈尊は五百塵点已前の仏なり因位も又是くの如し」

法華経本門(後半十四品)の趣意から凡夫の己心に仏身が具わっているなんてことに疑問視してしまう。

そもそも教主釈尊は五百塵点劫以前に円満な悟りを聞かれた久遠の仏陀なのである。
と言う事は、その因位もまたそれ以前に遡ってさらに久遠に在る。

恐れ多くも、このような尊高広大な因果の功徳が、果して、我々のような凡夫の己心に具わっているなどとは、どうしても信じられないのである。・・・・

と言うところでしょうか。
私の己心、一念の中に「仏」から、「菩薩」などの「十界」がすべて備わっているんですって。

私の一念の中に「無始古仏」が、弟子たる「上行大菩薩」の境涯が、常住しているらしいですね。

顕現できれば仏、出来なければ、九界ですか。久遠に於いて、初発心の弟子だった事が
確信できれば大聖人の順縁たる眷属ですぞ。ってことでしょうかね。

二点目は「本尊問答抄」です。


「おや?」と想ったのが、「本尊論」です。

ここでは、大聖人が、勝手の法兄にお曼荼羅を授け、この曼荼羅を
説明されていますね。

やはりここでも、「問答方式」、質問を設けて、
お答えになります。

先に結論を申し上げます。法華経の題目、とは久遠実成釈迦如来
の事なのです。と明かされる御抄かと存じます。

以下です。

「問うて云く、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。
答えて云く、法華経の題目を以て本尊とすべし。

問うて云く、いずれの経文、いずれの人師の釈にか出たるや。
答う、
法華経の第四法師品に云く、「薬王在在処処にもしは説き、もしは読み、もしは誦し、もしは書き、もしは経巻所住の処には、みなまさに七宝の塔をたてて極めて高広厳飾(ごんじき)ならしむべし。

また舎利を安んずることをもちいざれ、ゆえはいかん。このうちには已に如来の全身います等云云」

涅槃経の第四如来性品に云く、「また次に迦葉、諸仏の師とするところはいわゆる法なり。この故に如来は恭敬供養す。法、常なるをもつての故に諸仏もまた常なり云云」

天台大師の法華三昧に云く、「道場の中において好き高座を敷き、法華経一部を安置し、またいまだ必ずしも形像・舎利並に余の経典を安んずべからず、ただ法華経一部を置く等云云」


ごらんのように冒頭から文証として、経文二編、釈文一編を紹介なさいます。

〔問〕それはどの経文、いずれの学僧の解釈によるのか。と設問して

〔答〕法華経の第四巻の法師品第十には
「薬王よ。この経を説き、あるいは読み、あるいは暗誦し、あるいは書くところ、またはこの経のある所はどこであっても、七種の宝石で飾られた高く広い立派な塔を建てて供養せよ。

なぜなら、この法華経の中には仏の全身がましますから、したがって、別に舎利(遺骨)を安置する必要などない」と説かれ、

涅槃経の第四巻の如来性品には
「迦葉よ。諸仏が師とするものは法である。そのために仏は法を敬い供養する。法が常住永遠であるから諸仏もまた常住なのである」と説かれ、

天台大師の法華三昧懺儀には
「道場の中によき高座を設けてただ法華経一部を安置せよ。

仏像や舎利やその他の経典を安置する必要はなく、法華経一部だけで良い」と述べられている。


六道さん、このような訳し方で、お判りであろうか、

法華経一部を安置すれば、この「法華経は、釈迦仏の全身であるがゆえに、仏像とか、遺骨とか、その他の経典は無くてもいいよ」とあるわけです。

涅槃経の第四巻の如来性品には「諸仏が師とするものは法である」諸仏の師は法であるの法とは、釈迦仏の全身である事がわかります。

思い起こしてください、日蓮上人のこの「法華経とは釈迦仏なり」の思想は、すでに、38歳の著作に見る事が出来ます。

続いての天台大師の「法華三昧懺儀」も、この事「法とは、諸仏の師であり、
釈迦仏の全身であるから、仏像とか、遺骨とか、その他の経典は無くてもいいよと、法師品第十の経釈を具体的に例を引いています。


〔問(疑って言う)〕天台大師の摩訶止観第二に説かれている四種三昧のうちの御本尊は阿弥陀仏であり、不空三蔵が翻訳した法華経の観智儀軌は釈尊と多宝如来を本尊としている。

どうしてこれらの意見を捨てて法華経の題目を本尊とするのか。

〔答〕それは決して自分一人だけの考えではなく、前に掲(かか)げた経文および天台大師の解釈によるのである。

ここで言う「前に掲(かか)げた経文および天台大師の解釈によるのである。」とは、上記の経文、釈文ですね。

ただ、不空三蔵のいう「法華経の教主は「本門に明かす久成仏ではない。」ので、これは我々の本尊とする「釈迦仏ではない」と述べていますね。

それに引き換え、前述した「法華経の題目」の御本尊は、釈尊と多宝如来をはじめ十方諸仏の御本尊であって、法華経の行者の尊崇すべき本当の御本尊なのである。



問うて云く、日本国に十宗あり。みな「仏」を本尊としているのになんぞ天台宗は法華経を本尊とするや。

答う、確かに彼等は仏を本尊とする、そして、我々は法華経を本尊とするのですが。
その義あるべし。それには理由があるのです。

問う、その義いかん。仏と経といずれか勝れたるや。

答て云く、本尊とは勝れたるを用ゆべし。例せば儒家には三皇(さんこう)・五帝(ごてい)を用いて本尊とするがごとく、仏家にもまた釈迦を以て本尊とすべし。

六道さん
「仏を本尊とする宗がある。日蓮は法華経を本尊とすると言う。

一体、「仏と経」とではいずれが勝るのか。」と設問して

「本尊とは勝れるを本尊とする。
仏教家の我々は「釈迦を以て本尊とすべし。」と明確に明かされています。


問うて云く、しからばなんじいかんぞ釈迦を以て本尊とせずして、法華経の題目を本尊とするや。

〔問〕それならばなぜ釈尊を本尊としないで、法華経の題目を本尊とするのか。

〔答〕それは冒頭に引用した経文や釈文を見ればわかるように、

法華経は生身の釈迦仏の全身であり、滅後、仏舎利などを尊ぶ必要は無いのである。
この事は日蓮一人の勝手な考えではなく、釈尊も天台大師も、法華経を本尊とされたのである。

そのため末代の世にある日蓮も、釈尊や天台大師と同じように、法華経を本尊とするのである。

法華経は釈尊を生んだ父母であり、また諸仏の眼目であって、釈尊も大日如来も、十方世界のあらゆる諸仏もすべて法華経から生まれたのである。このため生みの親の法華経を本尊とするのである。

六道さん、いかがでありましょうか、久遠実成釈迦如来なんていったってが理解できる人は今も昔も、まず居ません。

「南無妙法蓮華経」「妙法蓮華経に南無の二字ををけり」すなわち、
題目、唱題の大事さを釈迦仏が教えている事は

、羅什漢訳の「妙法蓮華経」を読んだ人たちは大聖人のお生まれになる100年以上も前からご存知でした。
当時の僧侶が朝廷の内宮等に請われて説いている記録などが紹介されていますね。


しかし、久遠実成釈迦仏を仏滅後、「本門の本尊」として、お出まし願ったのは上行日蓮様のみですね。

「法華経とは釈迦仏なり」との思想は大聖人30代のころから既にとかれていますでしょ。
この本尊問答抄を読んだ、兄弟子は「中尊、法華経の題目とは、法華経本門に説かれる久遠釈尊の全身なのだ」と判ったでありましょうかね。

さて、蛇足かとも想うのですが、
「釈尊も天台大師も、法華経を本尊とされたのである。これに、私も習う」とあります。

六道さん、釈尊の本尊ってご存知か?
私は知りません。

ならば、も一つのほうの「天台の本尊」なら、御書にありますよね。

例の「鶏図」です。
さっそく観ましたよ。

「天台宗の本尊」「久遠実成釈迦如来」ってありましたよ。

でもね、天台のって、彼は、「像法」のあるいは、迹門立脚の人ですよね。
正直参りましたよ。


ところがね、すでにご存知かも知れませんが、ま、いいか。

この、「鶏図」での「天台宗の本尊」「久遠実成釈迦如来」は、実在しない
大聖人だけが説く、「幻の天台宗の本尊」なのです。驚きましたよ。

「知り抱くも説かず」の本尊なのですね。

ま、法華経の題目とは、釈迦仏の全身なのですと、かっての兄弟子に説明しています事を再確認したいと言う思いで、長々と書きました。

ますますの御精進をおいのりいたします。
失礼しました。
 

本師法華経

 投稿者:六道  投稿日:2013年 6月10日(月)08時12分27秒
返信・引用
  仏は果徳の位(師の位)
菩薩は因行の位(弟子の位)

これは菩薩の定義ですので永遠に変わる事はないでしょう。

寿量品が説かれるまでは、菩薩は仏の過去という認識があったかも知れません。

しかし寿量の仏は無始の仏です。 過去に歴劫の菩薩行をして仏になったのではない。

同じように本化も無始の大菩薩です。 未来に仏になるのではない。 菩薩の因行と仏の果徳の両方を時間差なしの同時に含むのが妙法だと思います。

本化は寿量品の久遠仏の「或示他身」の姿であるはずです。

「寿量品に云く「是くの如く我成仏してより已来甚大に久遠なり寿命無量阿僧祇劫常住にして滅せず諸の善男子我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり」等云云此の経文は仏界所具の九界なり 」  (観心本尊抄)

に「仏界所具の九界」とある通りです。

菩薩界(九界)も無始である根拠ですが

「本門を以て之れを疑わば教主釈尊は五百塵点已前の仏なり因位も又是くの如し」 (観心本尊抄)

と「因位も又是くの如し」ということなります。

寿量品の教文上の本因は釈尊の菩薩行であって、上行等の本化ではないという意見もありますが、遺文では宗祖は本因は地涌千界の菩薩であると説かれています。

「寿量品に云く「然るに我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、 経に云く「我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり」等云云、我等が己心の菩薩等なり、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷 属なり」 (観心本尊抄)

「上行・無辺行・浄行・安立行等は我 等が己心の菩薩なり」  (観心本尊抄)

 とあります。

つまり本仏は本果の釈尊ではなく、お曼荼羅の中尊である南無妙法蓮華経こそが本仏だと思います。「本門の教主釈尊」と遺文にあっても、多宝如来と二仏並座している釈迦牟尼仏を指す事もあれば、南無妙法蓮華経を指している事もあります。 曼荼羅上で見る限りでは釈迦・多宝の二仏は南無妙法蓮華経の脇侍・化仏になっていると思われます。 唱える名号が南無妙法蓮華経なのだから妙法が本仏なのは当然です。

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」  (観心本尊抄)

「爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」 (開目抄)

とあり、聖人の教えは「本因本果の法門」であり、それが「真の十界互具」なのだから、本果である釈尊だけでなく、本因であり無始の九界である本化と、仏・菩薩揃って因果倶時の妙法です。 そしてその妙法が本仏・本師です。

「さればこの法華経は一切の諸仏の眼目教主釈尊の本師なり 」(兄弟抄)

「末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり 」(本尊問答抄)


とあるとおりです。
 

師と弟子

 投稿者:  投稿日:2013年 4月17日(水)12時07分5秒
返信・引用
  本化とは本門の教主釈尊によって、久遠の過去に教化された弟子のことですね。
迹化とは迹門の教主によって教化された弟子達のことをさすようですね。

久遠釈迦仏は涌出品において、他方の国土から来集した諸の菩薩達が、
仏の滅後にこの娑婆世界で、この経典を護持し、広く説くことを申し出たのであるが
「止みね、善男子よ」とこれを制止され、この本化の菩薩衆を召し出されましたね。

この本化の出現に対して疑問を持った大衆のため、
仏は答えて「この諸の大菩薩は、無数劫よりこのかた、仏の智慧を修習せり(略)
我は久遠よりこのかた、これ等の衆を教化せしなり」と。

過去久遠に教化した本化に、末法における法華経弘通の付嘱を与えられ、
仏使としての使命を授けられました。

日蓮大聖人は特にこの点を重視し、妙法五字の題目を末法に弘める者は、
本化上行以外にないことを論じておられます。

久遠実成釈迦仏の弟子が「上行大菩薩等」ですね。「師と弟子」の関係です。


この事は大聖人自ら『観心本尊抄』の中でも、本化のことを「地涌千界」と称し、
本門の教主釈尊の脇士となって、妙法五字を弘めることが説かれており、

『法華取要抄』では「日蓮は広略を捨て肝要を好む。所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字也」とあって、大聖人自身が上行所伝の五字を末法に弘めていることを明らかにしていますね。

要するに
本化とは本門の教主釈尊の初発心の時からの弟子であり、本仏の脇士となって末法の世に、さまざまな法難を乘越え、身命を惜しまず、妙法五字を弘める者のことを指すのですね。

大聖人はこの本化の立場を、
わが身の上に置いて経文のごとくに法を弘め、

遂に「閻浮提第一の法華経の行者」として、末法の導師たる自覚に立ち、
本化としての使命に生きられたのでありましょう。

 

本化

 投稿者:六道  投稿日:2013年 4月 7日(日)11時59分43秒
返信・引用
  上行菩薩が久遠の釈尊の因位そのものでないなら、本化と言う言葉の意味がなくなります。 久遠の釈尊は無始無終の本仏です。 ある時点で成道してその後に上行菩薩等を教化したのでは、迹仏に等しくなり上行も迹因になってしまいます。

久遠つまり永遠に遡っても、久遠の釈尊は仏であり、我本行菩薩道の菩薩はその因位の菩薩であり、その菩薩はただの修行中の菩薩ではなく久遠の昔より仏である釈尊が六或示現をして九界の衆生を救済する姿以外の何者でもないはずです。 寿量品では単純に過去に釈尊が菩薩行をした結果ある時点で仏になったと言う有始の仏の話を説いているのではない。 だとすればこの仏に付属を受けて本法を説く本化の上行菩薩こそが本仏が九界に姿を顕した姿そのもであるはずです。 そうでなければ、寿量品の仏も三千塵点劫の仏よりも「比較的に古い仏」であるに過ぎず、真の意味での本仏とは言えないでしょう。

そもそも日本の大乗仏教は、「仏教」ではなく「菩薩教」ではないかと思われる教えです。 普通一般には大乗仏教の教主は報身如来ですが、報身如来は菩薩形で顕されることが多いし、他受用報身の仏土である実報土は菩薩界の事です。これは何を意味するかと言えば、寂光土の法身は理であり、その理を菩薩行の結果覚った智が報身だと言う事です。 これが因果倶時・不二なのですから、先に因行があったと言う常識的な時間の前後はなく、弟子である菩薩が師である仏の因行になりうるのです。 だから、不思議の円仏なわけです。

似たような考え方は、浄土教にも他の大乗宗派にもあります。 日本では比叡山の法華の教義の影響が強かったので当然です。 
 

一つの命題

 投稿者:初心者  投稿日:2013年 3月26日(火)08時54分16秒
返信・引用
  日蓮聖人の残したお曼荼羅さんの中で
南無釈迦牟尼仏、仏滅後しか見当たりませんが、
 南無釈迦牟尼如来 如来滅後と記すことを始めたのは誰なのでしょうか?
誰だとお思いですか?

 

この先生が

 投稿者:初心者  投稿日:2013年 3月14日(木)09時10分54秒
返信・引用
  伊藤 瑞叡(いとう ずいえい、1942年(昭和17年)5月20日 - )は、日蓮宗の僧侶、仏教学者。立正大学仏教学部教授、同大学院文学研究科長。日蓮宗大本山・山科本圀寺第97世貫首。北海道札幌市生まれ。法号は沙羅院日慈[1]。

経歴・人物

札幌市・瑞玄寺に生まれ、遠野市・智恩寺、札幌市・本龍寺で育つ。父親は本圀寺第63世貫首・伊藤日瑞。1965年(昭和40年)、早稲田大学第一文学部哲学科卒業。1968年(昭和43年)、東京大学大学院人文科学研究科修士課程(インド哲学)修了。1973年(昭和48年)、同大学院博士課程修了(文学博士)。

1980年(昭和55年)から立正大学仏教学部助教授、1986年(昭和61年)から同教授。東京大学、早稲田大学、信州大学の講師も歴任する。1995年(平成7年)から仏教思想学会の理事をつとめ、現在同会理事長。また1591年(天正9年)創立で、2007年(平成19年)に再建された本圀寺の研究組織「求法講院」の院長として、日蓮教学の研究を率先して行なっている。

サンスクリット語や西洋哲学に通暁しており、カント、ヘーゲルらドイツ観念論、スピノザ、ベルクソンさらにはパーソンズなど現代の社会学・社会システム理論を仏教学に応用し、独自の体系的な理論を構築している。特に地政学と宗教学との関わりに深く言及しており、「宗教地政学(Religio-Geopolitics)」という新しいディシプリンを提案している[2]。

受賞歴 [編集]
1965年 - 小野梓記念学術賞
1973年 - 日本印度学仏教学会学術賞
1995年 - 坂本日深学術賞
1997年 - 佐倉市教育功労賞
2004年 - 立正大学仏教文化学術賞

著書 [編集]

単著 [編集]
『華厳菩薩道の基礎的研究』(平楽寺書店)
『法華菩薩道の基礎的研究』(平楽寺書店)
『幼児教育の三要』(世界聖典刊行協会)
『日蓮精神の現代』(大蔵出版)
『立正安国論を現代に読む』(展転社)
『法華経の真実と救済』(隆文館)
『なぜいま三大秘法抄か―計量文献学入門―』(隆文館)
『三大秘法抄はなぜ真作か―計量文献学序説』(隆文館)
『三大秘法抄の真偽論争―本門戒壇論入門』(隆文館)
『宗教地政学入門―立正安国論で現代を読む―』(華林山文庫)
『法華経成立論史―法華経成立の基礎的研究―』(平楽寺書店)
『法華仏教学入門』(華林山文庫)

他多数。

共著 [編集]
『インド思想および仏教』第1,第2(錦正社)
『梵文法華経写本集成』第1~第12(梵文法華経刊行会)
『仏教研究入門』(大蔵出版)
『梵文法華経荻原土田本総索引』(勉誠社)

翻訳 [編集]
 

伊藤瑞叡教授

 投稿者:初心者  投稿日:2013年 3月14日(木)09時02分50秒
返信・引用
  おはようございます。
伊藤瑞叡氏(日蓮宗の僧侶、仏教学者。立正大学仏教学部教授、同大学院文学研究科長。日蓮宗大本山・山科本圀寺第97世貫首。)は、
教授は日本国衛護本尊は日蓮大聖人の御真筆と自分の著書において述べられております。
このような大先生が、何の根拠も無しに、主張されるとは思われないのですが。
 

伊藤瑞叡g)4d@(

 投稿者:初心者  投稿日:2013年 3月14日(木)08時59分44秒
返信・引用
  伊藤瑞叡氏(日蓮宗の僧侶、仏教学者。立正大学仏教学部教授、同大学院文学研究科長。日蓮宗大本山・山科本圀寺第97世貫首。)

教授は日本国衛護本尊は日蓮大聖人の御真筆と自分の著書において述べられております。


 

Re: 『大本山本圀寺学道求法講院再興意趣書』

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 3月13日(水)06時25分48秒
返信・引用
  > No.194[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

> 『法華習報』の合併号としての『大本山本圀寺学道求法講院再興意趣書』について
> 五月十五日、蒙古軍の海路にある頃、大日本国衛護の蒙古調伏本尊を図顕(P6)『年譜』『広布録』『霊場記』によると、弘安五年二月、日朗上人は大聖人の尊像を自刻す。九月二十五日、聖人は自ら点眼し、胎内に「相州鎌倉松葉ヶ谷本圀寺安国院常住、弘安五年太歳壬午九月二十五日、願主大檀那藤(井)五郎長勝法名日隆、平次郎光圀、造立法印 日朗法師」と書して、生御影と称す。(P7)
> 十月三日、大聖人は譲状を書し日朗上人に立像釈迦仏・立正安国論・三赦免状(いわゆる三箇の霊宝)を与える。(P7)
> 『大日本国衛護漫荼羅』を真筆とし、『日朗御譲状』をも「眞作在京都本圀寺」(P59)といい、真撰扱いする。
> さらに『日朗御譲状』は『昭和定本日蓮聖人遺文』の真蹟所在の項では空白、すなわち、真蹟不存との扱いとなっているが伊藤師は真蹟が京都本圀寺にあるという。この点、どうなのだろうか。

※初心者さん、おはようございます。
> さらに『日朗御譲状』は『昭和定本日蓮聖人遺文』の真蹟所在の項では空白、すなわち、真蹟不存との扱いとなっているが伊藤師は真蹟が京都本圀寺にあるという。この点、どうなのだろうか。

このように空白箇所が明白となり、>伊藤師は真蹟が京都本圀寺にある
と述べられているのであれば公開を望みたいところですね。
ぜひ公開を京都本圀寺に出されてみてはいかがでしょうか。

 

『大本山本圀寺学道求法講院再興意趣書』

 投稿者:初心者  投稿日:2013年 3月12日(火)10時42分6秒
返信・引用
  『法華習報』の合併号としての『大本山本圀寺学道求法講院再興意趣書』について
五月十五日、蒙古軍の海路にある頃、大日本国衛護の蒙古調伏本尊を図顕(P6)『年譜』『広布録』『霊場記』によると、弘安五年二月、日朗上人は大聖人の尊像を自刻す。九月二十五日、聖人は自ら点眼し、胎内に「相州鎌倉松葉ヶ谷本圀寺安国院常住、弘安五年太歳壬午九月二十五日、願主大檀那藤(井)五郎長勝法名日隆、平次郎光圀、造立法印 日朗法師」と書して、生御影と称す。(P7)
十月三日、大聖人は譲状を書し日朗上人に立像釈迦仏・立正安国論・三赦免状(いわゆる三箇の霊宝)を与える。(P7)
『大日本国衛護漫荼羅』を真筆とし、『日朗御譲状』をも「眞作在京都本圀寺」(P59)といい、真撰扱いする。
さらに『日朗御譲状』は『昭和定本日蓮聖人遺文』の真蹟所在の項では空白、すなわち、真蹟不存との扱いとなっているが伊藤師は真蹟が京都本圀寺にあるという。この点、どうなのだろうか。
 

おしえてください。

 投稿者:初心者  投稿日:2013年 3月 6日(水)14時43分11秒
返信・引用
  大本山本圀寺学道求法講院再興趣意書についておしえてください。
その信用性について。
 

携挙希望者募集中

 投稿者:  投稿日:2013年 1月12日(土)13時19分58秒
返信・引用
  2013年3~6月27日の間にキリスト教で言うイエスの再臨と空中携挙、日蓮の言う虚空会が行われる可能性が非常に高くなってきました。
このまま地上にいては危険なようです。7月ごろ疫病が発生して地上の三分の二の人々が死亡するようです。
食糧自給ができない日本人などは壊滅状態のようです。

詳しくは

http://www.geocities.jp/kkokrjp/

http://inri22001.rakurakuhp.net/
 

「初投稿です」に関して

 投稿者:legend_1351  投稿日:2013年 1月 2日(水)20時54分15秒
返信・引用
  > No.190[元記事へ]

明けましておめでとうございます。

掲示板の管理人様へ、
7日の夜までに返信が無い場合は、お手数をお掛けしますが、投稿を削除して下さるよう、お願い申し上げます(8日提出なので)。

以上

http://blogs.yahoo.co.jp/legend_1351

 

初投稿です

 投稿者:legend_1351  投稿日:2012年12月30日(日)22時03分18秒
返信・引用
  夜分に失礼致します。
創価学会員三世です。

大学で「国際人権法」に関するレポートを書いているのですが、例えば「日顕撲滅」は「人権的又は宗教的憎悪の唱道」にあたるでしょうか?疑問に思い、失礼ながらこちらで質問させていただきました。
法学に識を有する、(教授が外部なのか内部なのか不明ゆえ当然であるが)公平な立場の方のご回答をお願い致します。

失礼します。

http://blogs.yahoo.co.jp/legend_1351

 

教えてください

 投稿者:初心者  投稿日:2012年11月12日(月)22時17分32秒
返信・引用
  立正安国会の曼荼羅集では
南無釈迦牟尼仏、仏滅後しかありませんが、はたしてそうなのでしょうか。
 南無釈迦牟尼如来 如来滅後を始めたのは誰なのでしょうか? 大覚世尊は?
 

大曼荼羅

 投稿者:  投稿日:2012年11月12日(月)07時51分23秒
返信・引用
  初心者さん、中です。

なるほどね。「仏」と「如来」ですか。
「大覚世尊」と言うのもありますよ。

ここで、ご覧になると良いのでは?
http://homepage3.nifty.com/juhoukai/mandara/mandaraitiran.html

 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2012年 9月20日(木)21時56分13秒
返信・引用
  信者さん、も少し、詳しくお話される事がよろしいかと。

このままでは、「変人扱い」されても仕方ない内容に見えてしまいますよ。
 

(無題)

 投稿者:信者  投稿日:2012年 9月19日(水)06時02分26秒
返信・引用
  日蓮は身延山で岡本郁子(病気がちな子)の体を身延山の精霊に食わせている  

訂正Mura_T さんへ

 投稿者:初心者  投稿日:2012年 8月26日(日)19時50分18秒
返信・引用
  >寿量品は日蓮大聖人を予言しています。
 これは厳密には日蓮大聖人の胸中に「一念三千の仏種」が在るということです。
 そこで日蓮大聖人は自らの法塔(塔婆)を「本門の本尊」として残された。

だから、どの文字を読んで予言しているのかと、聞いているのです。
日本語判りませんか?
 

妄想さんへ

 投稿者:初心者  投稿日:2012年 8月26日(日)19時48分13秒
返信・引用
  >寿量品は日蓮大聖人を予言しています。
 これは厳密には日蓮大聖人の胸中に「一念三千の仏種」が在るということです。
 そこで日蓮大聖人は自らの法塔(塔婆)を「本門の本尊」として残された。

だから、どの文字を読んで予言しているのかと、聞いているのです。
日本語判りませんか?
 

Re: 富士門流

 投稿者:just boy  投稿日:2012年 8月25日(土)23時29分33秒
返信・引用
  山麓丸さんへのお返事です。

北山本門寺は当代と先代共に「法主日蓮大聖人」で回向文を読みますよ。
身延山久遠寺より晋山した、四十七世が積極的に一致派教学を採り入れた為、一時的に「釈迦本仏」に傾いただけの事です。今では「宗祖本仏」となっていますよ。

小泉久遠寺も保田妙本寺と同じく「郷門流」です歴代貫首に日我師がいます。此方も勿論「宗祖本仏」です。
> 因みに 私は日蓮本佛論否定派の富士門徒です。
件の言い分は、可笑しいですね。富士門流の寺院は悉く日蓮の御影堂を本堂にして本尊の奉り方も独自の物としている、事を貴方は知らないのか?
 

法華経寺の浄銭

 投稿者:道徳者  投稿日:2012年 8月16日(木)18時25分57秒
返信・引用
  中山法華経寺の浄銭をしゅっ法師の田中宏定に汚された。  

妄想

 投稿者:初心者  投稿日:2012年 8月16日(木)11時47分38秒
返信・引用
  >寿量品は日蓮大聖人を予言しています。
 これは厳密には日蓮大聖人の胸中に「一念三千の仏種」が在るということです。
 そこで日蓮大聖人は自らの法塔(塔婆)を「本門の本尊」として残された。

   拡大解釈、創造、どの文字から読み取るの。
今時、恥ずかしくないの。
妄想されてはこまる。
 

一念三千の仏種が本仏釈尊顕本の寿量品の文に内含

 投稿者:初心者  投稿日:2012年 8月16日(木)11時45分13秒
返信・引用
  拡大解釈、創造、どの文字から読み取るの。
今時、恥ずかしくないの。
妄想されてはこまる。
 

Re: 日蓮本仏論

 投稿者:Mura_T  投稿日:2012年 8月15日(水)01時06分27秒
返信・引用
  > No.52[元記事へ]

> 一念三千の仏種が本仏釈尊顕本の寿量品の文に内含されている

 寿量品は日蓮大聖人を予言しています。
 これは厳密には日蓮大聖人の胸中に「一念三千の仏種」が在るということです。
 そこで日蓮大聖人は自らの法塔(塔婆)を「本門の本尊」として残された。

 

(無題)

 投稿者:山麓丸  投稿日:2012年 7月30日(月)07時16分48秒
返信・引用
  すみません下の書き込みに誤字がありました

日蓮僧侶×

日蓮宗僧侶○
 

Re: 富士門流

 投稿者:山麓丸  投稿日:2012年 7月30日(月)07時12分50秒
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

> 山麓丸さんへのお返事です。
>
> > はじめまして 早速質問ですが この掲示板には富士門流寺院は悉く「日蓮本佛」だと認識されている方は いらっしゃいますか?
> >
> > 変な質問で申し訳ありませんが この先この掲示板を活用するか 考え中です。
> > 因みに 私は日蓮本佛論否定派の富士門徒です。
>
> 山麓丸さん、おはようございます。
> 管理人といたしまして、お答えします。
> どなたか、書き込みされるのを待っておりましたが私の私的意見を書かせていただきます。
> まず日蓮本佛論なる論理構造を考察する上で御祖師様の御遺文からは窺えません。
> であるから、日蓮本佛論の限界に現代では到達しているのではないでしょうか。
> 富士門徒の歴史が日蓮本佛論にあるのならば時間の無駄ではないと思います。
> しかし日蓮本佛を唱える宗派はごく一部でしょうね。
>
>
回答ありがとうございます。

私はある質問形式のサイトで北山本門寺や小泉久遠寺は釈迦本佛ですと、回答した所日蓮僧侶を自称する男とその支援者等に袋叩きにされてしまいました。

幾ら北山は大聖人を「本佛」ではなく「本化」としているといっても信じてもらえず、ませんでした日蓮僧侶なのに富士門流が全て日蓮本佛なんて主張はおかしいですよね?

失礼ながらこのサイトの方々の認識力を確認しました。お気に障る様でしたら申し訳ありませんでした。
管理者様の言われる様に日蓮遺文からは、確認出来ません。

日興上人も 『興波木井實長書』には 「仏は上行無辺行浄行安立行の脇士を造副進 せて久成之釈迦に造立し進せ給べし」と仰せです。

大石寺の日寛や保田妙本寺の日我上人陽に日蓮本佛論を明確に示した。歴代貫首が居ない限り現在、正式な教義にしているはずがありません。
 

Re: 富士門流

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 7月27日(金)06時53分23秒
返信・引用
  > No.171[元記事へ]

山麓丸さんへのお返事です。

> はじめまして 早速質問ですが この掲示板には富士門流寺院は悉く「日蓮本佛」だと認識されている方は いらっしゃいますか?
>
> 変な質問で申し訳ありませんが この先この掲示板を活用するか 考え中です。
> 因みに 私は日蓮本佛論否定派の富士門徒です。

山麓丸さん、おはようございます。
管理人といたしまして、お答えします。
どなたか、書き込みされるのを待っておりましたが私の私的意見を書かせていただきます。
まず日蓮本佛論なる論理構造を考察する上で御祖師様の御遺文からは窺えません。
であるから、日蓮本佛論の限界に現代では到達しているのではないでしょうか。
富士門徒の歴史が日蓮本佛論にあるのならば時間の無駄ではないと思います。
しかし日蓮本佛を唱える宗派はごく一部でしょうね。

 

富士門流

 投稿者:山麓丸  投稿日:2012年 7月22日(日)01時10分9秒
返信・引用
  はじめまして 早速質問ですが この掲示板には富士門流寺院は悉く「日蓮本佛」だと認識されている方は いらっしゃいますか?

変な質問で申し訳ありませんが この先この掲示板を活用するか 考え中です。
因みに 私は日蓮本佛論否定派の富士門徒です。
 

ありがとうございます。

 投稿者:初心者  投稿日:2012年 5月 8日(火)21時07分17秒
返信・引用
  以前、清澄寺の宝物館で、日蓮聖人がお使いだったとされる大きな黒い念珠を見たもので、質問させていただきました。  

初心者様

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月 4日(金)15時40分42秒
返信・引用
  > No.168[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

>  真面目なお話し合いがしたいですね。
>  日蓮聖人がお使いだったじゅじゅは今の物と同じものなのでしょうか。
>  御遺文で確認できますか?
>

大変ご無沙汰しております。
GWは充実しておりますでしょうか。
私は家族と東北と茨城のほうへ散見して参りました。

さて過日に渡る荒らし行為につきましては現在放置する予定であります。
また初心者様のように真面目な方からの投稿は大歓迎にてドシドシ書き込み
下さいますよう、お願いします。

確認ですが、>じゅじゅ

と仰るのはお念珠のことで宜しいのでしょうか。

>日蓮聖人がお使いだったじゅじゅは今の物と同じものなのでしょうか。
>御遺文で確認できますか?

であるならば、私は日蓮宗信者でありますから調べる必要があるとも思います。
私は御題目と勤行とボランティアを中心にしておりますので、お念珠の形式
においては無頓着な者であるかもしれませんがご質問を戴きましたので
出来る限りお答えしていくものです。

初心者様が信仰以前に形式にこだわる方だとは知らずご無礼致しました。

私などは数珠などは不要な人間でして、さらに引いては御釈迦様の仏像でも曼荼羅
でも信仰が成り立つと考えております。

曼荼羅髄一とする考えが本よりないのだと思います。
日蓮聖人は「天台の一念三千を盗み取って真言の教相と定めて理の本とし、枝葉たる印真言を宗と立て、宗として天台宗を立て下す条、謗法の根源たるか。又華厳・法相・三論も天台宗日本になかりし時は謗法ともしられざりしが、伝教大師円宗を勘えいだし給いて後、謗法の宗ともしられたりしなり。当世真言等の七宗の者、しかしながら謗法なれば大事の御いのり叶うべしともおぼえず。」

末文に「八幡大菩薩は日蓮が頂をはなれさせ給いてはいずれの人の頂にかすみ給わん日蓮を此の国に用いずばいかんがすべき、となげかれ候なりと申せ。[p0455-0456]
 又日蓮房の申し候。仏菩薩竝びに諸大善神をかえしまいらせん事は別の術なし。禅宗・念仏宗の寺寺を一もなく失い、其の僧らをいましめ、叡山の講堂を造り、霊山の釈迦牟尼仏の御魂を請い入れたてまつらざらん外は諸神もかえり給うべからず、諸仏も此の国を扶け給わん事はかたしと申せ」

とあります。

日蓮宗での法の形態は日蓮聖人御生時代に数珠の形態などはなく日蓮宗そのものがあるわけではありませんからそのような観点から数珠の形態をどのようなという質問は遺文から探し出すというのは中世期の歴史史料から探し出したほうが宜しいのではないでしょうか。

私が法門可被申様之事を引用したのは、化儀もあくまで化儀でしかないということをここで述べたく法門可被申様之事を抜粋したものです。





 

へんな書き込みされて残念。

 投稿者:初心者  投稿日:2012年 5月 3日(木)18時53分22秒
返信・引用
   真面目なお話し合いがしたいですね。
 日蓮聖人がお使いだったじゅじゅは今の物と同じものなのでしょうか。
 御遺文で確認できますか?
 

荒らし行為としてIPアドレスを公開します。

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 8日(木)22時40分38秒
返信・引用
  p7239-ipad02akita.akita.ocn.ne.jp
(220.104.32.239)

満州未骨代行霊道士

非常識な書き込みがありましたので、少し様子を見ます。
 

Re: 中です。

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月26日(日)21時42分40秒
返信・引用
  > No.164[元記事へ]

中さんへのお返事です。




> 皆で、証拠など出し合ってですね、良識をもって、宗祖のお心を
> 尋ねたいものですね。
>
> 宗祖がお亡くなりになった折に、枕元に懸けたとされる「宗祖直筆のお曼荼羅(複製)を朝夕、拝している、幸せ者の一人からです。どうぞよろしく。
>

はじめまして、中様、管理人です。
ようこそいらっしゃいました。

ところで末席様とご友人とのことでそれが何かありましたのでしょうか。

> 皆で、証拠など出し合ってですね、良識をもって、宗祖のお心を
> 尋ねたいものですね。

そうですか。当掲示板に置きましては、画像も動画も貼り付けることが出来ます。
ですので何か提示したいのであればご自由にどうぞ。

> 宗祖がお亡くなりになった折に、枕元に懸けたとされる「宗祖直筆のお曼荼羅(複製)を朝夕、拝している、幸せ者の一人からです。どうぞよろしく。

そうなんですか。私は日蓮宗ですから当然御祖師様の御曼荼羅(複製)も所持しております。

枕元に掛けていらっしゃるとは素晴しい心がけでありますね。
私も中様の心がけの一分でも学びたいと思う所存です。

中様、一言お断りを申し上げねばなりませんが、当掲示板に置きましては静かに運営をしておりますので其の点をご理解戴き今後ご投稿戴きます様、宜しく御願い致します。

とかく石山関連、創価学会出身者(過去)の方々ですとどうしても、騒がしくなるのが困りますので中様が冷静に議論に徹することが出来ますようならば、管理人と致しまして大変に幸甚で御座います。では今後とも宜しくどうぞ。



 

中です。

 投稿者:  投稿日:2012年 2月26日(日)04時01分45秒
返信・引用
  中と申します。

「仏教の「ぶ」の字」も知らない時に、
「あのね、お釈迦様ご自身がですね、末法には自分が説く教えで、衆生を救う事は出来ないと説いているのですよ」とか、

「その時に「末法の本仏」が出現するとあるのですよ」なんて、
大集経の「白法穏滅」なんかを提示されれば、「え!、そうなんだ」となりますよ。

末席さんとご縁がありましたので、いかがでしょう、思いっきり、
質問なさってみませんか?

当然、すべてに回答できるなんて思う人など居ませんが

皆で、証拠など出し合ってですね、良識をもって、宗祖のお心を
尋ねたいものですね。

宗祖がお亡くなりになった折に、枕元に懸けたとされる「宗祖直筆のお曼荼羅(複製)を朝夕、拝している、幸せ者の一人からです。どうぞよろしく。
 

Re: ご本仏・・他御質問

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月23日(木)18時37分23秒
返信・引用
  > No.162[元記事へ]

法花さんへのお返事です。

> 末席さんへのお返事です。
>
> 管理人さん、末席さん、皆さんはじめまして。
>
> 春秋社から出版されている日蓮聖人全集が原文と現代語訳ともに掲載されていて比較しながら日蓮宗の考え方を学べると思いますよ。
>
> それと富士宗学要集を照らし合わせてみてみると良いと思います。
>
> 横からでしゃばり失礼致しました。

法花様。はじめまして、管理人で御座います。
ようこそお出で下さいました。
折角のご投稿で御座いますが、失礼ながらパソコンからの投稿を御願い致します。
静かに運営をしておりますので、proxyからの御投稿は御容赦戴きご理解賜りますよう、宜しく御願い致します。

また書籍の御紹介有難う御座います。

法花様は御一読されておられると思いますが、私からももう一点御紹介させて戴きます。

日蓮宗宗学全書23巻(立正大学)こちらも全体的に日蓮門下を知る上で宜しいのではないかと思います。

富士宗学要集であれば、インターネットである程度読めますので買う前に一度インターネットで『富士宗学要集』と検索してみて下さい。

 
 

Re: ご本仏・・他御質問

 投稿者:法花  投稿日:2012年 2月23日(木)05時39分1秒
返信・引用
  末席さんへのお返事です。

管理人さん、末席さん、皆さんはじめまして。

春秋社から出版されている日蓮聖人全集が原文と現代語訳ともに掲載されていて比較しながら日蓮宗の考え方を学べると思いますよ。

それと富士宗学要集を照らし合わせてみてみると良いと思います。

横からでしゃばり失礼致しました。
 

Re: ご本仏・・他御質問

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月21日(火)00時32分12秒
返信・引用
  > No.160[元記事へ]

末席さんへのお返事です。

> はじめて投稿をさせて頂きます。私は5年程前、御縁あっての友人の薦めから創価学会に入信しました学会員の一人です。昨年末から、投稿をさせて頂くか否か非常に悩んでいたのですが、決心させて頂き、失礼いたしております。
> 創価学会への入信といいますと、二世・三世以外の場合、大概は何らかの困難な事象(生活の困窮、仕事での苦悩、病など)に遭遇し、その解決策の一つとして第三者の紹介を受けて入信する(勧められる)、というのが主流であり、私もそのような事象から故、人生の羅針盤・生命の鍛錬との動機で入信した一人です。それまで、日蓮大聖人様はもとより、法華経、特定宗派には縁遠かった人間です。

はじめまして、末席様、ようこそお出で下さいました。
管理人で御座います。
私も宗教と全く縁のなかった一人でして、私の場合は実家での出来事ですが、家族が寝ている時間になると人の呻き声が聞こえるとのことで一度祈祷をしてもらおうとのことから日蓮宗の祈祷師のところへ参詣したところから信仰するきっかけとなりました。



> 御存知の通り、学会における信・行・学の実践は、一閻浮提総与の大御本尊を法宝・日蓮大聖人様を仏宝・日興上人を僧宝とし、朝晩の勤行の実践を基軸とした上での御書根本、聖教新聞・大百蓮華による勉強と座談会、さらに弘教というが概ねの活動となっているものです。私自身全くの無知ながらも求道心を持たせて頂き、唱題勤行と御書全集・妙法蓮華経開結、並びに聖教新聞社の御書講義での研鑽を今日までさせて頂いております。学会は日蓮正宗とたもとを分かちましたから(学会内におきましては破門された、という形にはされておりません)日蓮宗派と無関係の立場、かもしれませんが、私自身は日蓮大聖人の末席の弟子との認識で今日まで信じて南無妙法蓮華経の題目の実践を未熟ながらさせて頂いております。


存じませんが創価学会という団体ではそのような三宝を説き明かしているのですか。
日蓮宗では、開宗を建長5年4月28日と定め御祖師様が始めて御題目を唱えられたとされる日になっております。

本尊は日蓮正宗や創価学会と違い、久遠実成本師釈迦牟尼佛です。日蓮聖人は日蓮大菩薩です。上行菩薩の応現であるからです。
経典は妙法蓮華経です。題目は南無妙法蓮華経(ナムミョウホウレンゲキョウ)です。
中国の天台智顗は迹門を体(核)とし、本門はその働き(作用)と見て、本迹の一体を主張。これに対し日蓮聖人は本門中心の法華経観のもと唱題受持成仏を主張するが、迹門の理念がそれを支えているのであると見る。

智顗は迹門が主体で本門は迹面本裏に対し、御祖師様は本門が主体で迹門は本面迹裏であると見ておられます。
日蓮聖人滅後、本門迹門の教義をめぐり種々な論争が起こり各派分裂抗争となった事実は真に哀しい歴史であると私は思っております。




> 申し上げるまでもなく、学会に対しては様々な誹謗中傷がございます。私自身も入信するまでも、断片的ながらも耳にはしておりました。前述させて頂いた通り、私はある個人的な悩みからその解決の糸口をつかみたいとの動機で、折伏した人間が熱心に話していた法華経・日蓮仏法を試みたい、と、さりとて「おすがり」的な要素も初動として多分にあっての入信であったというのが正直なところです。では実際に活動をさせて頂いてみてどうか・・・・と申しますと、事実無根もあれば事実に即している部分もあり、且つ、どちらとも言えない部分(何が正しいのか答えを見いだせない)部分もある、というのが私の持つ学会観です。どの程度の割合でそう思ったか、は控えさせて頂きます。ただ、実際の宗教活動という部分では、入信前に抱いていた、法華経≧日蓮≫学会ではなかったというのは事実です。その上で「心の師とはなるとも心を師とせざれ」の、心の師、は九識心王真如の都という仏界並びに大聖人様、信心とは「法華経釈迦多宝、十方の諸仏菩薩、諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱え奉る」の御文を生命に刻ませて頂いております。その御縁を頂戴したのは学会であり、学会員の皆様について、異論はあろうかと存じますが、現状、私としてはどなたも素晴らしい「法華経の行者」とのたちいちでおります。また、学会員である以上は池田名誉会長が絶対では・・・との御意見があろうかと思いますが、学会三代会長であり、「法華経の行者」の長期にわたる実践者・目上の方として尊敬することは当然としつつも、世間で言われてるような池田本仏論・・・などという考え方への賛同心は全く所具しておりません。


そもそも御祖師様が本佛などということはないのでありますし、御祖師様の生涯通じての本師は南無久遠実成本師釈迦牟尼佛です。

我々も御祖師様信仰そのまま御題目を唱えることであり、法華経(教え)と御題目を広げることによって、命ある一切の救済を目的とするのが日蓮宗の教義です。



> 本来、信仰をさせて頂く上で、自身にとっての三宝を、一生の大事として真剣に考え入信する・信受すべきものであること、当然のことかと思います。しかしながら当時(今もまだまだ、ですが)、そのような知恵も認識も乏しく、まずは入り、そして勉強すると、順序は眞逆なのですが折伏を受けたままに入信したところでした。
>
>
> 冷やかし、誹謗中傷ではないこと御理解頂きたく、前起きが長くなりまして恐縮です。

いえいえ、とんでも御座いません。

> つたない独学での範疇でしかないのですが、大聖人がご本仏とされる教義に昨年初から疑問が生じ、むしろ、間違っているのではとの認識を強く持ち、勉強をさせて頂いております。
> その認識と申しますのは、こちらの掲示板でも御紹介なされておりましたが、法明協会で御指摘されている部分とかなり重なっているところです。



どなたが書かれた文かわかりませんが、私は存じ上げておりません、お答え出来なく申し訳ありません。


>其の上で、日蓮宗の教義としての三宝を詳細に記した書籍等、これが最適と思われるものがございましたら是非御紹介頂けませんでしょうか。資料のボリュームは問いません。

そうですね。私が参考にした書籍は沢山御座いますが、まずはこちらを書籍の販売を閲覧してみたら如何でしょうか。

書籍の紹介



> また、日蓮宗各寺院に安置されております日蓮大聖人がお認められた御本尊について、可能な限り、この目で見たいと切望しております。当然ながら、阿仏房御書で仰せになられている通り、己心を見ることがその趣旨でございます。

日蓮宗で言えば、御本尊というのは曼荼羅ではありません。
日蓮花押となるのでしょうが、歴代上人が自由に書写できる宗派でもありますので、最近では在判と記されるようにもなっております。
私も日蓮宗本山貫主様の直筆の御曼荼羅を自宅にお掛けしております

> 日蓮宗におかれましては、ご本尊の参詣は自由に叶うものなのでしょうか。また、何らかの手続きあるいは各寺院によって、特定日の参詣等、決まり事などはあるのでしょうか。このことに資する情報を御教示頂ければ大変に有り難く存じます。

もともと、お寺はホテルと違い約束、予約などは不要です。参詣は自由でありますから予約や約束などは不要の場でありますしそこのお寺へ参詣し、心が和むのでしたらご自由に参詣なされるべきではないでしょうか。
 

ご本仏・・他御質問

 投稿者:末席メール  投稿日:2012年 2月18日(土)23時44分51秒
返信・引用
  はじめて投稿をさせて頂きます。私は5年程前、御縁あっての友人の薦めから創価学会に入信しました学会員の一人です。昨年末から、投稿をさせて頂くか否か非常に悩んでいたのですが、決心させて頂き、失礼いたしております。
創価学会への入信といいますと、二世・三世以外の場合、大概は何らかの困難な事象(生活の困窮、仕事での苦悩、病など)に遭遇し、その解決策の一つとして第三者の紹介を受けて入信する(勧められる)、というのが主流であり、私もそのような事象から故、人生の羅針盤・生命の鍛錬との動機で入信した一人です。それまで、日蓮大聖人様はもとより、法華経、特定宗派には縁遠かった人間です。
御存知の通り、学会における信・行・学の実践は、一閻浮提総与の大御本尊を法宝・日蓮大聖人様を仏宝・日興上人を僧宝とし、朝晩の勤行の実践を基軸とした上での御書根本、聖教新聞・大百蓮華による勉強と座談会、さらに弘教というが概ねの活動となっているものです。私自身全くの無知ながらも求道心を持たせて頂き、唱題勤行と御書全集・妙法蓮華経開結、並びに聖教新聞社の御書講義での研鑽を今日までさせて頂いております。学会は日蓮正宗とたもとを分かちましたから(学会内におきましては破門された、という形にはされておりません)日蓮宗派と無関係の立場、かもしれませんが、私自身は日蓮大聖人の末席の弟子との認識で今日まで信じて南無妙法蓮華経の題目の実践を未熟ながらさせて頂いております。

申し上げるまでもなく、学会に対しては様々な誹謗中傷がございます。私自身も入信するまでも、断片的ながらも耳にはしておりました。前述させて頂いた通り、私はある個人的な悩みからその解決の糸口をつかみたいとの動機で、折伏した人間が熱心に話していた法華経・日蓮仏法を試みたい、と、さりとて「おすがり」的な要素も初動として多分にあっての入信であったというのが正直なところです。では実際に活動をさせて頂いてみてどうか・・・・と申しますと、事実無根もあれば事実に即している部分もあり、且つ、どちらとも言えない部分(何が正しいのか答えを見いだせない)部分もある、というのが私の持つ学会観です。どの程度の割合でそう思ったか、は控えさせて頂きます。ただ、実際の宗教活動という部分では、入信前に抱いていた、法華経≧日蓮≫学会ではなかったというのは事実です。その上で「心の師とはなるとも心を師とせざれ」の、心の師、は九識心王真如の都という仏界並びに大聖人様、信心とは「法華経釈迦多宝、十方の諸仏菩薩、諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱え奉る」の御文を生命に刻ませて頂いております。その御縁を頂戴したのは学会であり、学会員の皆様について、異論はあろうかと存じますが、現状、私としてはどなたも素晴らしい「法華経の行者」とのたちいちでおります。また、学会員である以上は池田名誉会長が絶対では・・・との御意見があろうかと思いますが、学会三代会長であり、「法華経の行者」の長期にわたる実践者・目上の方として尊敬することは当然としつつも、世間で言われてるような池田本仏論・・・などという考え方への賛同心は全く所具しておりません。
本来、信仰をさせて頂く上で、自身にとっての三宝を、一生の大事として真剣に考え入信する・信受すべきものであること、当然のことかと思います。しかしながら当時(今もまだまだ、ですが)、そのような知恵も認識も乏しく、まずは入り、そして勉強すると、順序は眞逆なのですが折伏を受けたままに入信したところでした。


冷やかし、誹謗中傷ではないこと御理解頂きたく、前起きが長くなりまして恐縮です。


御教示・御質問をさせてください。

つたない独学での範疇でしかないのですが、大聖人がご本仏とされる教義に昨年初から疑問が生じ、むしろ、間違っているのではとの認識を強く持ち、勉強をさせて頂いております。
その認識と申しますのは、こちらの掲示板でも御紹介なされておりましたが、法明協会で御指摘されている部分とかなり重なっているところです。其の上で、日蓮宗の教義としての三宝を詳細に記した書籍等、これが最適と思われるものがございましたら是非御紹介頂けませんでしょうか。資料のボリュームは問いません。
また、日蓮宗各寺院に安置されております日蓮大聖人がお認められた御本尊について、可能な限り、この目で見たいと切望しております。当然ながら、阿仏房御書で仰せになられている通り、己心を見ることがその趣旨でございます。
日蓮宗におかれましては、ご本尊の参詣は自由に叶うものなのでしょうか。また、何らかの手続きあるいは各寺院によって、特定日の参詣等、決まり事などはあるのでしょうか。このことに資する情報を御教示頂ければ大変に有り難く存じます。

以上、大変長々と書き連ね、御質問は極めて短文でしかないものの、どうぞ宜しくお願い申し上げます。










 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2012年 1月 6日(金)08時09分31秒
返信・引用
  妙常寺  ■所在地佐賀市兵庫町大字渕1897 にある御曼荼羅もそうだとおもいます。  

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2012年 1月 5日(木)17時19分56秒
返信・引用
  神奈川県にありますS寺です。
前にも言いました通り私の家の菩提寺の来客殿に飾られている御曼荼羅さんです。
 

Re: (無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 1月 5日(木)16時24分2秒
返信・引用
  > No.155[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

> つづきです。この御曼荼羅には如来滅後讃文として
>
> 「如来滅後於閻浮堤内未曾有第一之 大曼荼羅本門寿量王佛 本尊也」
>
> と書かれています。これをどのように解釈なされますか。
>

どちらの御寺院に掲げられている曼荼羅でしょうか。

 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2011年12月29日(木)10時17分40秒
返信・引用
  つづきです。この御曼荼羅には如来滅後讃文として

「如来滅後於閻浮堤内未曾有第一之 大曼荼羅本門寿量王佛 本尊也」

と書かれています。これをどのように解釈なされますか。
 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2011年12月28日(水)09時04分14秒
返信・引用
  ありがとうございます。

「修行是経者令得安穏」陀羅尼品 第二十六についてですが、

是の経を修行する者、安穏なることを得せしめん

との解釈ではだめですか。

質問してしまってすみません。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月26日(月)16時46分40秒
返信・引用
  「如来一切所有法・如来一切自在神力・如来一切秘要藏・如来一切甚深事」

如来の一切の所有の法、 如来の一切の自在の神力、 如来の一切の秘要の蔵、 如来の一切の甚深の事,皆この経において宣示顕説す。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「諸佛自在神通之力・諸佛師子奮迅之力・諸佛威猛大勢之力・如来秘密神通之力」

諸仏の自在神通の力,諸仏の師子奮迅の力,諸仏の威猛大勢の力,如来の秘密神通の力
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「諸餘怨敵皆悉摧滅」

諸余の怨敵皆悉く摧滅せり。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

※「修行是経者令特安穏」

この一箇所はお応えしかねます。
御諒承の程、宜しくお願い致します。

他所においてのご質問はご自由にどうぞ。
 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2011年12月26日(月)12時49分38秒
返信・引用
  日蓮宗です。
菩提寺の来客殿に飾られている御曼荼羅さんに書かれてある言葉です。
宜しくお願いいたします。
 

初心者様

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月25日(日)20時12分40秒
返信・引用
  「如来一切所有法・如来一切自在神力・如来一切秘要藏・如来一切甚深事」
「諸佛自在神通之力・諸佛師子奮迅之力・諸佛威猛大勢之力・如来秘密神通之力」
「諸餘怨敵皆悉摧滅」
「修行是経者令特安穏」

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

上記、以上の意味を教えて下さい。

とのことですが、判読されたものか、訓読されたものか、宗派により異なるかと思いますので御自身の宗派に照らし合わせて、意味を理解されることが望ましいのではないでしょうか。

失礼ながら、宗派をお知らせ戴ければ小生にも若干なりしも御力添えできるかと存じます。


 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2011年12月24日(土)14時38分11秒
返信・引用
  「修行是経皆令特安穏」は「修行是経皆令得安穏」でした。
 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2011年12月23日(金)11時23分6秒
返信・引用
  「修行是経皆令特安穏」は「修行是経者令特安穏」でした。
 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2011年12月22日(木)23時59分40秒
返信・引用
  「如来一切所有法・如来一切自在神力・如来一切秘要藏・如来一切甚深事」
「諸佛自在神通之力・諸佛師子奮迅之力・諸佛威猛大勢之力・如来秘密神通之力」
「諸餘怨敵皆悉摧滅」
「修行是経皆令特安穏」

以上の意味を教えて下さい。
 

日蓮宗の御上人法話

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月22日(土)01時47分10秒
返信・引用
  御上人様の御説法です。
大変有難いお話でした。
保田妙本寺の大本尊についても語られておられました。



 

個人情報につき、削除致します。

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月21日(金)02時29分34秒
返信・引用
  こんな坊主が許されるか?
投稿者:obasanメール  投稿日:2011年10月17日(月)14時33分6秒 返信・引用

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obasan様

個人的な問題でありますので、当掲示板の趣旨に反します。
よって投稿記事におきましては、削除対象となりますので予めご了承ください。

管理人
 

Re: 日蓮門下

 投稿者:身延  投稿日:2011年10月14日(金)10時33分9秒
返信・引用
  > No.143[元記事へ]

22世紀さんへのお返事です。

>  日蓮門下と聞けば、六老僧ですか。
>
> それらの六老僧でも、解釈は違うようです。

見たら、わかりませんか。

当然ながら、解釈は違うのは当然ですよ。

今や、創価学会も網羅しようとしている日蓮宗はもはや世界の日蓮宗です。

 

日蓮門下

 投稿者:22世紀  投稿日:2011年10月13日(木)20時50分6秒
返信・引用
   日蓮門下と聞けば、六老僧ですか。

それらの六老僧でも、解釈は違うようです。
 

(無題)

 投稿者:管理人メール  投稿日:2011年10月 3日(月)03時54分6秒
返信・引用
  皆様、御無沙汰しております。
今まで謎に包まれた曼荼羅が一幅御座いましてその曼荼羅について研究しており中々投稿が出来ずに管理人と致しまして、申し訳なく思う次第です。

さて本題ですが私(管理人)が小論とともに曼荼羅の真偽において鑑別しており画像なども全て許可を戴きましたのでこちらの掲示板にアップして参ります。

また素朴な疑問などがございましたらメールアドレスからご連絡下さい。
 

ありがとうございました。

 投稿者:  投稿日:2011年 9月 4日(日)16時47分32秒
返信・引用
  初心者さん、
さすがですね、私も、実は、個人的には、この御上人様は、日蓮宗のお宝のお一人だとの認識があります。また、グッドタイミングの解説ですね。ありがとうございました。

少しずつ進みたいですね。
 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2011年 9月 4日(日)13時52分58秒
返信・引用 編集済
  法明教会のブログから


人・法本尊についての田中智学大居士の見解

先日、「本尊問答抄を拝読したが、いわゆる法本尊と人(仏)本尊との関係をどのように考えたらよいのか?」との質問を受けました。早速、田中智学大居士講述『日蓮主義教学大観』の、該当問題に言及してある部分をコピーして送付しました。
コピーした部分の要点をご参考に呈します。

第一項 法勝仏劣対他門

・・・一体、本尊は信行の正的である。行者所観の境的である、はやくいへば、標準即ち手本である、その本尊が区々別々になっていて、更にその統一点あることを知らないのが、諸宗の本尊観である、是に於いてか、此等の割拠的仏菩薩を根本的に淘汰統一すべく、それ等仏菩薩の根本的の依憑(よりどころ)を掲げられたのが、『法本尊』である。・・・

釈尊を本尊として弥陀大日その他各宗の人本尊を統一せんとしても、種々理屈を挿んで畢竟して諍論の法となる、爾るに法に到っては、いかなる仏もその前には統一せられねばならぬ約束になつている、即ち無上正等覚を得ねば仏でない、而してその無上正等覚が法華経の覚りである、即ち法華経の正理を覚ることである、要するに諸仏の内証たる法は仏仏同道であるから、この点では何宗でも一言をさしはさむことはできないのである。

 ・・・本尊は最尊を標準とするのであるから、是れ等一切諸仏が斉しく本尊としたまふ本尊が真の本尊である、それは法界にただこの妙法蓮華経の一法あるのみである、と各宗に向かって統一的宣言を下して、王師の征討を開かれたものである、この意味において法本尊主義は、大義名分を立つるに見事なる奏効があって、諸宗無得道の鉄案が大盤石の上にすはったのである、すなわち諸仏はみな法を本尊とし、法を修行して成仏せられたものであるから、一切衆生もまた法を本尊とし法を修することに於いて成仏せしめねばならぬ、仏といえども法以外において私に成仏せしめることはできない筈である、法をはなれての成仏往生といふのは、畢竟して虚妄の成仏往生であるといふ遡源的の道理によりて、諸宗を打撃せられたものである、・・・

次にきはむる問題は、この法本尊主義が果たして、聖祖の無上の御本意の全面であるか、将(は)た他に一種の御化導の有るや否かといふことである、・・・
そこで法本尊の御妙判の本拠は、申すまでもなく「本尊問答抄」である、此の抄はただに法本尊を示されたのみでなく法を本尊とする所以の解釈まで自(みづか)らせられてある、即ち御文に
『問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、・・・上に挙ぐる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊法華経の行者の正意なり。・・・釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり』
とある、仍(そこ)で文中、釈尊、天台、日蓮一貫して、法華経を本尊とする同一基礎にお立ちになっての御語がある、爾るに、本宗は本尊において、天台と全同を採るべきや否やは問題である、

聖祖一期の大事たる「観心本尊抄」には明らかに正像未弘の本尊と仰せられてあるから、彼の抄已後において此の抄に天台と共通の本尊をお採りになっているのは不審である、「本尊抄」の綱格(こうかく)をお破りになるといふことはない筈であるといふ疑問が湧く、

是(ここ)においてか、優陀那日輝師は
『此の抄は清澄の浄顕義浄の二人にお与えになったもので、此の両人は真言の人であるから、その執着を破る為めに、大日等の権仏乃至一切の仏は法華経より出たりとて法本尊主義を仰せられた随他意の御書であるから。「迹門法師品』と天台の「法華三昧」と「普賢観経」とを引証せられてある、即ち一機一縁に対する未顕真実の御書である』と会通せられた、此の議論は悉く誤ったといふわけではないが、予は更に今一歩進んだ観方(みかた)を要するであろうとおもふ、いかに一機一縁に対する御書でも、本尊のごとき、宗門の骨髄たるべき法門を、ひとたび定められた限り、跡もどりするようの義は、かたかた無い筈である、・・・即ち根本の大義に於いては、悉檀はない、それ已下の第二義第三義には悉檀をもちいられるのである、こういう訳であるから、本尊の如き重大なる根本問題に、一たび大法門のあらはれて後に尚、悉檀摂化をおとりになることはまずは無いこととおもはれる、・・・

これを要するに勝劣問題における、法勝仏劣の法門は、前にいふ如く能生所生を以て、聖祖が一般仏教に対して中心点統一点を定めるために仰せ出された大判である、所謂諸宗対破折伏の大施で、仏教統一の大権的発動である、・・・斯く法勝仏劣は諸宗統一の為めであるから、「法勝仏劣対他門」というのである、しかしながら対他門であるから方便であるといふのではない、この対他門の当所にすぐ真実はあるのである、・・・

彼(優陀那日輝師)は対他門にして方便といひ、予は対他門にして而も真実といふのである、仍(そこ)で第二の仏勝法劣といふのはどういふ義であろう、今の法勝仏劣と現に語は顛倒している、それがいかにして意は同じきかといふことを研鑽せねばならぬ。

第二項 仏勝法劣対迹門

前の法勝仏劣の法門は、仏教の通義であって、諸法実相の妙理がよく仏を生ずるといふことは何の宗といえども、否といえない、所謂、覚母実相となづけるものである、この覚母実相を根底的に説いたのが法華経で、・・・法華経が一切の諸仏を生むといふことは諸宗ともに異義はいへないことになっている、爾(しか)るにその法華経に二経(本・迹)あって、・・・今の仏勝法劣の法門は先に一切諸仏の能生となった法そのものの深さを示して、単に理常住をいふ迹門の理円常住法身常住の義を破する為めに開かれた大切なる御法門で、之れを「仏勝法劣対迹門」といふのである。

・・・されば今の(法勝仏劣)対他門の場合もこの常例通り、第三本門の法門の立脚地(たてば)から、法勝仏劣の義を成ぜられたもので、その「法」とは即ち本門の「法」である、ゆえに彼の「本尊問答抄」にも『末代悪世の凡夫は何を以て本尊とすべきや』と末法の機を挙げ『法華経の題目を以て本尊とすべし』と、寿量文底の題目を挙げられてある、法師品ならびに天台の釈はともに文上一部の法華経であるが、これは法本尊の偽例に挙げられたものである、もし尅していはば経は文を借りて義を顕し、台釈は更にその内証の同然たる所を予想して引用せられたので、詮は釈尊ならびに天台もともに寿量文底の題目を本尊と定む、一切諸仏皆これを本尊とすと釈せられたのである、換言せば、本門事円の法を以て一切諸経がが本尊とせる区々の諸仏を統一せられたものであると拝さねばならぬ。・・・

これを要するに、人法勝劣の問題は、本門の法と仏とにおける勝劣を論ずるのでなくして、或いは権迹の仏を統一せんが為めに、本門の法を以てし、或いは権迹の法を破せんが為めに本門の仏を以てしたものである、ゆえに一言に決するとこうだ、
 常に「劣」となり「所破」となる「法」と「仏」は、わが所謂法 華経の分外のも  のである。
  常に「勝」となり「能破」となる「法」と「仏」は、わが所謂法 華経の分内のものである。
・・・
即ち、
 対他門の重で、劣とせられた仏が、対迹門の時に勝となるのでは なくして、対他門の重で、勝とせられた法が、対迹門の時に仏と なるのである。
このゆえに、前番に於いては後の「仏」を「法」と名づけ、法の名によりて一切の仏を統一するに便し、御番には前の「法」を「仏」と名づけ、顕本の仏によりて権迹一切の法の根底を奪ふに便せられたもので、「法」と「仏」と名は異(かわ)れども、その体は一(ひとつ)、所謂、体同名異である。
  是(ここ)において第三の法門よりこの経の全体をもって、権  門に対するときは、広さにおいて「法」と示して統一し、迹門  に対するときは、深さにおいて「仏」と示して顕本す。

即ち、対他門の時の「法」の蓋(ふた)を取って見ると、その中に「仏」があるので、恰も本仏は桃の中の核のようなものである、桃を植えるにも肉を植えないで、核を植えるように、この法の中の仏種を衆生の己心中に植えれば、竪に何万年でも、横に何億里でもその桃の絶えることはないのである、そこで仏種論が尊くなるのである、かく法の中心は仏である、・・・ゆえに外がわから輪郭だけを示して他門を征伐せられたのが法で、法勝仏劣対他門である、
次にその法の中の内容を示して迹理を破したのが仏勝法劣対迹門である、・・・

即ち諸宗が区々の諸仏を本尊としているから、これを統一するに、ただ久遠実成の釈尊というても、また久遠実成の弥陀とか、大日法身とか、いろいろの理屈が生じるから、何等りくつのをいふ余地のないのは、諸仏の成仏は法によりて得たものであるから、法を諸仏の師であることは明白であるゆえに、法勝仏劣の義によりて、法本尊を主張せられたので、即ち諸宗の本尊統一の為めであるから対他門としたのである、しかるにその法を本尊とするといふ法は、爾前権迹共通の理円常住の法ではない、本有十界互具百界千如一念三千の法で、即ち事円常住の妙法である、この妙法の中心は本仏である、かの権迹共通の理円の法の如きは、本門の仏の顕発によりて、根底より打壊(うちこは)される法である、ゆえに単に法というても迹門爾前の法は本尊となることは出来ない、此の迹法に対しては、本門の仏は遙かにすぐれて、法の枢鍵を握る仏陀であるから『本門の教主釈尊を本尊とすべし』と人本尊を主張せられたものである、ゆえに法本尊は本法、人本尊は本仏で、理に約して本法、事に約して本仏といふのである、事理もとより一体であるから、法仏は要するに一体の両名dせある、而して他門に対するときは理に約せる法を以て統一し、迹門に対しては事に約せる仏を以て破折せられたものである。・・・

されば法仏同体としても、法と仏を同時によぶわけにいけないから、その場合によりて、法を以て仏を呼ぶこともある、これ法は仏の外面であるからである、また仏を以て法を呼ぶこともある、これ仏は法の内容であるからである、かく仏と法と二致あるものでなく、一体に名づけられたるものぞといふことを研究するが次の人法一如の問題である、
(日蓮主義教学大観第四巻2490~2505頁より抄出)

第三節 人法一如

・・・・その仏種の妙法は事の一念三千の法門で本仏果上の自受法楽の縮図である、それがkの妙法五字の中にあることを『一念三千を識らざる者には、五字の中に此の珠を裏み』と仰せられたので、一念三千の本仏の種子が、妙法五字の中に含められてあるので、所謂、外容が法で、内容が仏である、この内容をかくして、しばらく外容だけを示されたのが「本尊問答抄」であるから、彼の抄(観心本尊抄)と此の抄(本尊問答抄)とは断乎として二致あるものではないといふのである。
  内容に就き仏種に就き本体に就くゆえに『本門の教主釈尊を本  尊とすべし』となり。
    外廓に就き法門に就き名称に就くがゆえに、『妙法蓮華経を本尊とすべし』となるのである。

・・・法を以て身とも心とも所作ともしているのが、まことの仏であるから、仏は法の精華、法は仏の実身である、されば「御義口伝」にも
 『無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり』
 『無作三身の所作は何物ぞと云うとき南無妙法蓮華経なり』
とあって、無作三身の名も所作もともに妙法蓮華経とあるのだから、即ち法仏はただ一つであることがますます明らかである、それゆえ本法を取る取らぬとか、本仏を取る取らぬなどといはるべきものでない、所詮、本門の本尊は、法の形によりて伝えられたる仏であると見るべきである、もし図出せられた妙法曼荼羅の上でいへば、南無妙法蓮華経といふ本仏の内容をば描きあらわしたものである、南無妙法蓮華経は城で、その中に一念三千の本仏が居る、その大将の果報境界が十界円具である、即ち妙法蓮華経の内容をX光線で見せたのが、大曼荼羅の御本尊である、斯く外廓の法と内容の仏とは、つねに一如しているものである、・・・
法明教会のブログから

釈尊妙法、人法一体の御本尊たる御妙判の御指南をわすれると、釈尊はこれ脱仏なりとして之を除外し、祖師を人本尊とし、大曼荼羅を法本尊とするような偏な理屈が起こるのである、聖祖が極力鼓吹して、閻浮統一の大本尊と仰せられたのは、大曼荼羅の御姿にて顕されたる一大円仏にますますことは、左の 「観心本尊抄」、「日女抄」、「報恩抄」、「三大秘法抄」、「御義口伝」等によりて明らかである。(日蓮主義教学大観第四巻2505~2525頁 抄出)
 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2011年 9月 4日(日)11時50分50秒
返信・引用
  「中」さん。ありがとうございます。
 確認できました。よんでみます。
 

「真蹟扱い」です。

 投稿者:  投稿日:2011年 9月 4日(日)09時16分38秒
返信・引用
  初心者さん、こんにちは、
ここでは「中」です。

沖浦氏の顔も見えましたね。

それはそうと、初心者さんは、まだ「日蓮宗の門」を尋ねられていないのですね?
ま、いらぬお節介ですがね。

さて、この「本尊問答抄」は真蹟は残らず、日興師写本で北山本門寺在とあります。
真蹟、曾存が第一級資料なら、高僧写本は第二級資料として、俗に言う「真蹟扱い」される資料かと存じます。
日蓮宗側でも録内録として、1573ページに収録されています。

基本的には、57歳の聖人が、かっての兄弟子にあてたお手紙です。

この兄弟子は、大日如来を本尊とする信仰者(御僧侶)ですから、彼を説得する為には、
法のお話と仏のお話に分けた場合、仏、すなわち、

大日如来と釈迦如来を並べて、あちらが、優れている、いや、こちらのほうが仏格は上であるとの議論ではなかなか、思いを伝える事は困難でしょう。

幸い、仏教者にはの不文律といいますか、ルールがありまして、「依法不依人」とか、「修多羅に有らずば、黒論」と言う判断材料があります。

たとえば、これです。

「此の釈をばいかがせん用うべきか又すつべきか、
答う仏の未来を定めて云く「法に依つて人に依らざれ」

竜樹菩薩の云く「修多羅に依れるは白論なり修多羅に依らざれば黒論なり」
天台の云く「復修多羅と合せば録して之を用ゆ文無く義無きは信受すべからず」

伝教大師云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」等云云、(撰時抄・281)

(概略)

さて、誠にすばらしいお説であれば、どうだろう?この説を用いるべきなのだろうか、それとも捨てるべきなのであろうか?

お答えしよう。法(経典)に依るべし、その法(経典)を説いた仏を除いて、いかなる人師の教えもこの法に違背する教えならば捨てよ。

竜樹菩薩の云く「経典」に依るなら、白論なり、そうでないなら、黒論なり
天台の云く「経典」に合うなら、これを用い、そうでないなら、信受すべきでない。

伝教大師云く「仏説に無い口伝を信ずること莫れ」


解釈が大雑把ですが、これは、すべての仏教者に通じるルールなのです。

ですから、このお手紙では、仏の比較でなく、経の方を表に出して、大日経よりも、法華経のほうが優れているんですよと説いておいでなのですね。

ま、独演会ではありません。諸兄のご教示も頂きたいと思います。
 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2011年 9月 4日(日)00時44分55秒
返信・引用
  身延側の遺文集には有りませんから、真偽未決問題から検討しなければなりませんね。  

(無題)

 投稿者:  投稿日:2011年 9月 2日(金)21時42分51秒
返信・引用
  日蓮大聖人御書全集
http://sgi.daa.jp/gosyo/title/index3.html

の50番ですね。(365ページ)ですね。
ちなみに「日興師写本」ですね。
 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2011年 8月30日(火)21時24分2秒
返信・引用
  大石寺派の遺文集のものでしょ。真偽未決なものではないんですか。  

教えて下さい

 投稿者:初心者  投稿日:2011年 8月30日(火)18時08分13秒
返信・引用
  >私は、本尊問答抄について、諸兄のご賢察を賜りたいと存じますが、
いかがなものでしょうか?
 これは、どの遺文全集のナンページにありますか。
初心者で分かりません。
 

本尊問答抄について

 投稿者:  投稿日:2011年 8月28日(日)13時11分10秒
返信・引用
  すぐ九月です。まだまだ暑いですね。
>何か、テーマを出しながら色々議論しあうのもよろしいかと思います。

私は、本尊問答抄について、諸兄のご賢察を賜りたいと存じますが、
いかがなものでしょうか?
 

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