『ヨハネの黙示録』解読記事検証スレ1枚目
<思いやりのあるコミュニティ宣言>
teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
いつもご協力いただきありがとうございます。
投稿者
題名
*
内容
<IMG>タグが利用可能です。
(詳細)
>>52 > >>51 > > 管理人様 > > すみません、かなり雑になっていました。 > 大淫婦がキリスト教会や、その思想的配下にある社会…であれば、特に近年の様子からは、ああなるほどねと思います。 > 最近、ワークライフバランスという言葉が、身近で聞かれるようになって、その内容が時短みたいな話だったので、なんだか解せないと調べてみたところ、 > 昔の日本の人々の働き方。人生の中に仕事も遊びも含まれていて、主体は自分だという、少し前(少なくとも戦前あたりは)当たり前だった生き方に近い > 考えなので、何をいまさら横文字で輸入して、ありがたがってるんだろうと思ったのですが、そのあたりの輸入思想もちょっと眉唾、似て非なるものも > あるのではと思うこのごろです。欧米主体の資本主義や経済の在り方自体、なんとも胡散臭いところが多いので。 > > 反キリストについては、なかなか見分けがつかないでしょうね。キリスト教徒の多くはイエスさまの言葉そのものよりも、所属する教会や教派の信条や > 決まり事、説教言われてことなどに忠実であろうとしますし、イエスさまの生きざまから学び、そのように生きることが出来ると思っている人は > あまりみかけませんし。だいたいは、罪深い我々は、懺悔し教会で祈りをささげることで明日を生きるのです…といったことから抜け出すつもりはなさそうです。 > 意地悪な取り方をすると、懺悔し教会で祈りをささげれば、イエス様が罪をかぶってくれるんだよとも聞こえ、それじゃあ、いつまでたっても救われないねと思ってしまいます。 > > 古事記が神々と人々の関係、在り方を理解するのに役に立つというのはわかります。 > それに加え、戦前や、高度経済成長が始まる辺りまでの日本の家族や社会文化というのは、そこに真摯に生きることで、人と自然の本来の在り方を自ずと知り、身に着けることになりますし、 > その学び方は、生きる段階に応じて、求める量や力量に応じてのものであるように感じます。求めよ、さらば与えられん…というのは、キリスト教の聖書の言葉だったように思いますが、 > 日本に生まれ、生きてきて、本当にそういうものであると、しみじみ思います。 > 何度となく神々に、自分自身に問いかけ、答えを探して生きていますが、その答えの多くは日常の中から示されるものでした。時々は、奇妙な偶然で、笑ってしまうようなこともあったりしますが、 > 大抵は、ごく当たり前に、社会の中で、日々の生活の中で、よく見聞きし、考え、悩んだ中に、ぽっと気づくものです。 > > >
ファイル
アップロード可能な形式(各4MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)
URL
sage
« スレッドに戻る